(これは2006/03/ に作成した記事であることを
頭に入れてお読みください。)
(インド独立の父 ガンジーの墓=ラージガート)
ネパールはインドと違って、
街の雰囲気ががらりと変わると、前回書いた。
お釈迦様の生誕地として、観光地であるのに、
お釈迦様の生誕地として、観光地であるのに、
しつこい物売りに悩まされないし、
物乞いにも出会わなかった。
第一国境を越えて入国するのにごく簡単に終わったことだ。
検査官がバスに乗り込み、
ひとりひとり眺め回してパスポートを預かっていき、
検印してすぐ返してくれた。
観光客はバスに座ったままですんだ。
観光客はバスに座ったままですんだ。
観光地であるから、みやげ物やがずらりと並んでいるが、
しつこく買ってくれと、付きまとわない。
公衆便所を使ったが、
出口にチップを入れる箱が置いてあり、
その中に0.2ルピー入れれば事は足りる。
その箱の前には、トイレ掃除をする子ずれの女が、
一人が用を足すたびに、トイレ掃除をするのである。
この仕事で給料を貰っているのか知れないが、
用を足し出てきた人にチップを要求して手を出すわけでもない。
インドとは様子が違っていた。

(トイレ前の子供)
英国植民地から独立を果たしたインドを、
マハトマ・ガンジーを差し置いて語ることは出来ない。
今、世界で民族が独立を果たそうとすると
血みどろの戦いが想像される。
インドの独立を勝ち取ったガンジーは、
ハンガーストライキを実行して、
(水は補給したが、絶食ストライキを決行)
無血で英国からの独立を成し遂げた。

(ガンジーと九人の弟子たち像)
インド独立の父としてインド人から尊敬を集めている。
「インドが誇る偉人です。」と
「インドが誇る偉人です。」と
ガイドさんは本当に誇らしげに胸をたたいた。
ボクが
「世界の偉人ですよ」
とヤジを入れると、
ガイドさんは照れ笑いしたのが印象に残っている。
続けて「ガンジーはノーベル平和賞を貰いました?」と聞いたら、
ガイドさんから「貰っていない」と首を振った。
ガンジーほどの偉人がノーベル賞を貰っていないのは不思議で、
後で調べてみると、
ノーベル賞の受賞を三回も断っていることがわかった。
どこかの国で、「○○○ー森」とかの小説で
ノーベル賞の時期が来ると、
こんどこそ自分が受賞するとばかり、
衣装まで取り寄せて待っていた人とは
(これはこれで立派な人であるが)
やはり人格が違うように思える。
もともとヒンズー教が圧倒的多数のインドでは、
死後は火葬されガンジス川に流されるため、
お墓が見当たらない。
(仏教徒のお墓はあるが、仏教徒は全人口の2%に過ぎないというから、
ほとんどないに等しい)
しかし、皇帝や王様などの墓は、記念碑として残されるという。
デリーの中にある広大な公園の一角に
ガンジーの記念碑はある。

(ガンジーの記念碑があるラージガート)

(ガンジーの墓)
広場の中央にある四角の記念碑は、
中央から途絶えることのない火が灯し続けられ、
ガンジーの業績が輝き照らし出されている。
ガンジーを慕う人々が絶え間なく訪れ、
ガンジーを慕う人々が絶え間なく訪れ、
手を合わせて帰っていく。

(ガンジーの墓を訪ねるインド人の流れは絶えない/ボクのビデオから)
記念碑の前で写真を撮っているのは、
観光客ぐらいしかいない。
この公園に来てから気づいたのは、
あれだけしつこく付きまとった物乞いや
物売りが見当たらなくなったことである。
どうしてであろうか?
ガンジーの偉業をたたえる場所には、
物売りも物乞いも偉大な功績に圧倒されて、
手出しするのに尻込みしているのであろうか?
立ち入り禁止のお触れでも出ているのだろうか?
不思議である。
この旅は、
玄奘三蔵を偲び、
釈尊を偲び、
ガンジーを偲び、
毎日をどのように生き延びようかと
必死にもがくインド人を偲び、
わが身になぞらえて、
「生きる」を訪ねる旅になった。

(シバ神像)
(なお、ヒンズー教の神様、
シバ神像の石像をご覧になりたい方は、
東京都港区新橋にある松岡美術館を紹介します。
数点のシバ神像の石像をご覧いただけます。
シバ神像が手にもつゴム印のようなものは、
下部の板の部分は女性性器を現し、
柄の部分は男性性器を表現しているといいます。
美術館でシバ神像をよくよく見ると、
女性の裸身を抱き、
時には左手で乳房を持つエロティックなものもあります。
性行為を神聖なものとして表現、
あるいは子孫繁栄を願う霊験あらたかな
神様として表現したのか。それは皆さんが決めて下さい。)