並木たより

写真付き日記

パグウォッシュ会議

2006-06-09 17:54:25 | 日記・エッセイ・コラム

パグウォッシュ会議Pugwash Organization)は、1955年のいわゆるラッセル・アインシュタイン宣言にその源を発する。この宣言は、人類絶滅を防ぐには、もはや戦争それ自身を人類が放棄するほかに道がないことをのべている。この宣言には冒頭の会議の招請と、その会議で討議すべき決議の草案がそえられており、湯川秀樹教授を含む11名の科学者がそれに署名している。
 

この宣言に基づく会議は、二年後の1957年7月7日に、カナダ・ノバスコシァ州の小さな漁村パグウォッシュで開かれた。それは参加者22名(10カ国)という小さな会議であったが、共産国と非共産国の科学者がテーブルを同じくして、人類存続のために討論するはじめての機会だった。

 会議は成功裡に終わり、当時の厳しい冷戦下にもかかわらず、科学者たちがイデオロギーのちがいを超えて、人類の一員として話し合えることがここに実証された。ちなみにこの会議に日本からは、湯川、小川岩雄、朝永が参加した。「私たちはこの会議に集まったすべての人々の間に基本的な目的に関して再度の一致点が見出されたということを表明しておきたい」(朝永振一郎 1975827日)

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今日、相次ぐ事故と不祥事の結果、ようやく喧伝されはじめたエンジニアリング・エシックス(技術者倫理)の原点が、このパヅウォッシュ会議とそれに続く科学者京都会議にあると私は思う。

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「平和をつくり出す人たちは、さいわいである。彼らは神の子と呼ばれるであろう」(マタイ伝5:9)

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(今日のお弁当)

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空襲体験

2006-06-08 14:33:47 | 日記・エッセイ・コラム

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フェリス女学院の下村ゼミに招かれて空襲体験を語った。

7人のゼミ生は全員、戦争体験の話を聞くのは初めてとのこと。

あれほどの経験が忘れ去られようとしているのか

韓国の学生たちに「歴史認識」を問われた昨夏の暑さを思い出した。

「あれほどの大きな経験をしたことは、無駄であったのか。まさか、無駄ではあるまい」(ガラテヤ書3:4)

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(今日のお弁当)

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コミュニテイ(地域社会)

2006-06-07 10:19:53 | 日記・エッセイ・コラム

水曜と金曜の昼食は「NPO法人汐見台福祉コミュニティ」から届けてもらうことにした。良いグループだ。いつ訪ねても、誰と会っても、皆、笑顔で迎えてくれる。それも、とびきりの笑顔だ。

人と会うことも、他人の世話をすることも、そのために多少苦労することも、なんでも嬉しい、といった笑顔なのだ。営業用のスマイルやお追従笑いでない、心の底からの笑顔なのだ。日本もまだまだ捨てたものでない。

届け先が同じ町内なので「お安い御用」といった感じで引き受けてくれた。2月頃、他のデリバリサービスを試みてトラブったことがあるので心配していたが、これなら大安心・大助かりだ。笑顔は全てをクリヤする。

2月以来毎日、(往復十数キロの道を)昼夜の2食(2人分で計4食)届けていると説明すると、「他所の町から済みません」といった調子でお礼を言われてしまった。「町内の介護は町内で」と言うのが、市民社会・地域コミュニティの基本の考えなのだろう。

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(今日のお弁当)

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水・金はサンドウィッチのみ

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最大事業

2006-06-06 00:15:24 | 日記・エッセイ・コラム

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死は犠牲である。同時にまた贖罪である。何人(なんびと)といえどもおのれ一人のために生き、またおのれ一人のために死する者はない。人は死して幾分か世の罪を贖い、その犠牲となりて神の祭壇の上に捧げらるるのである。

これじつに感謝すべきことである。死の苦痛は決して無益の苦痛ではない。これによりておのれの罪が洗わるるのみならず、また世の罪が幾分なりとも除かるるのである。

しかしていうまでもなく、死の贖罪力は死者の品性如何によりて増減するのである。義しき者の死は多くの罪を贖い、悪しき者の死は自己の罪のほか贖うところはなはだわずかである。

人は聖くなれば聖くなるだけ、その死をもってこの世の罪を贖うことができるのである。あるいは家の罪を、あるいは社会の罪を、あるいは国の罪を、人は彼の品位如何によって担いかつ贖うことができるのである。死はじつに人がこの世においてなすをうる最大事業である。 (内村鑑三)

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(今日のお弁当)

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野の花

2006-06-05 01:31:30 | 日記・エッセイ・コラム

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「あじさいは6月に咲くエクレシア、ちいさな花がひとつになって」という歌を徳島で聞いたことがある。心に残る歌だ。そのアジサイの季節になった。

どうした訳か(毎年そうなのか?)今年はツツジ、さつきと、皆一緒に咲いている。花は、それぞれに、良い。(みんな違ってみんな良い!)

タンポポも咲いている。近頃のタンポポは背が高い。昔は地べたにへばりつくように咲いていたものだ。

鎌倉の先輩の証を思い出す。線路際のタンポポが「立地条件」に文句も言わずに健気に咲いているという証であった。その証におおいに励まされたのも40年も昔のこと。我が国のタンポポの背がまだ低かった頃のことだ。

「野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない」(マタイ伝6:28)

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(今日のお弁当)

Pict0004_10 カレーライスは運搬が大変

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