「94 / 白秋」に書いたように「青春」という言葉は古代中国からあった。
ただし、まだ広く知られた言葉ではなかったし、「未熟な時期」の意味でしかつかわれていない。
どちらかといえば「青春」の「青」に重点がおかれている。
明治になるまで、男性は一人前になると前髪を剃り上げた。これを月代(さかやき)という。
月代の剃り跡が青く見えるのは未熟である証拠だった。
熟す前の果実を「まだ青い」「青瓢箪」というように、「青」は「青二才」「未熟」の意味でつかわれていた。
今のような「青春」のイメージが出来上がるのは明治中期以降からだ。
英語の「youth」あるいは「springtime of life」の和訳として、五行説の「青春」をあてはめたのだ。
その子二十 櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな /与謝野晶子(明治34)
夢や希望に満ち、活力のみなぎる誇らしい「春」が謳歌できる時代になった。
「青」のイメージも明るいものになるのだが、逆にその明るさは、青春の中で人生に思い悩む純粋な若者にとっては哀しいものになる。
白鳥はかなしからずや 空の青海のあをにも染まずただよふ /若山牧水(明治40)
甘く切ない、楽しく辛い、生きているのだと自覚する青春のイメージができあがる。
そして、夏目漱石が小説『三四郎』』(明治42)の中で、青春真っただ中の主人公を次のように表現している。
「三四郎は切実に生死の問題を考えたことの無い男である。考えるには青春の血が、あまりに暖かすぎる。目の前には眉を焦がすほどの火が燃えている」。
朝、庭先に座って熱いコーヒーをすするのが毎日の日課だ。
自転車に乗った高校生が何人も、家の前を明るく楽しく元気に通り過ぎる。
我が昭和の時代の青春は『青春とはなんだ』から『これが青春だ』『でっかい青春』『進め! 青春』『炎の青春』『飛び出せ! 青春』『われら青春!』と進んだ学園ドラマのような甘く切ない手探りの青春だった。
今、振り返って考えても「青春って何んあったんやろ?」かわからない。
明治時代以前の青年、いや、まだ「青年」という言葉がなく、若者・若衆・娘と呼ばれていた江戸時代までの若者は、今のような「青春」の概念(世間一般に通用するイメージ・考え)どころか「自由・人権・愛」の概念もなかったときに、青春というものをどう考えていたのだろうか?
それを想像してみたくなって「青春とは?」と考え出したのだが・・・うーん、わからない。
とりあえずの結論は、昔も我が青春時代も現代も、青春を生きている青年には「青春や人生を考えるには、青春の血が、あまりにも暖かすぎる」ということ。
そして、青春を過ぎた人間が青春について考えても、もはや「青春の血」は流れてはいないということ。
「三四郎は切実に生死の問題を考えたことの無い男である。考えるには青春の血が、あまりに暖かすぎる。目の前には眉を焦がすほどの火が燃えている」。
漱石はすごい!
※田中一貞 編『万延元年遣米使節写生集』国立国会図書館デジタルコレクション
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