いにしえの昔の武士の侍が、山の中なる山中で、馬から落ちて落馬して、女の婦人に笑われて、赤い顔して赤面し、家に帰って帰宅して、自分の妻の細君に、遺書を書いて書き置きし、仏の前の仏前で、小さな刀の短刀で、腹を切って切腹した。
意味が重なる言葉を重ねてつかう表現で「重言(じゅうげん、じゅうごん)」という。
漢字交じりの文章にすると、すぐにまちがいだと分かるが、会話の中では、ついついつかってしまう。
「あとで後悔しないように、今現在、いまだ未解決の問題を解決する、最もベストで最良の方法は、借りているお金の借金を減らして、貯金をためることです」
この重言を、詩や短歌の韻文(いんぶん=リズムを味わう文)ではわざとつかって、心地よい調べを出す[重言法]というのがある。
松尾芭蕉の作ではないが、芭蕉が詠んだと誤解されている「松嶋やああ(さて)松嶋や松嶋や」のようなものだ。
われを思ふ人を思わぬ報いにや わが思う人のわれを思わぬ /『古今集』
(私を思い慕ってくれる人を私が思わなかった報いなのだろうか。私が思い慕う人は私のことを思ってくれない)
よき人のよしとよく見てよしと言ひし吉野よく見よ よき人よく見つ /『万葉集』天武天皇
(良き人が良いところだとよく見て言った吉野をよく見なさい。良き人がよく見たのだから)
こころこそ心をはかる心なれ 心の仇(あだ)はこころなりけり /『古今六帖』
(相手ののこころ遣いこそが、相手の本心を推し量るための肝心な点だ。だから、自分の心を踏みにじっられてしまうのは、相手にこころ遣いが無いからだよ)
同じ形の言葉を重ねていく[重形法]というのもある。
秋も秋 今宵も今宵 月も月 所も所 見る君も君 /『後拾遺和歌集』
(秋も仲秋、今宵は十五夜の宵、月も名月で、所も月の名所、見ておられる殿君は関白藤原頼通の君)
「~も」という助詞がついた語句を重ねていって、しだいに核心に近づけていく[漸層法]という技法もある。
一昨年も去年も今年も一昨日も 昨日も今日も我が恋ふる君 /『清唱千首』
古い都々逸から
義理も情けも勤めも堅く そして私と末永く
道連れは 夢とうつつと他国の山と 水の流れと独り旅
あきらめられぬになぜあきらめられた あきらめられぬとあきらめた
※絵は竹久夢二(国立国会図書館デジタルコレクション より)
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