ニンニクを植える畝を立てようと、朝の6時に畑へ。
ところが、耕運機のガソリンがきれている。ストックも無い。
ガソリンスタンドが開くのは7時。
その日の農作業をエクセルカレンダーに10字以内で書いている。
今日は「ひたすら草抜き」。
土が乾いている時は鍬(くわ)で削るが、湿りっ気の多いときは抜いた草に土がつくので、小鎌(こがま)を使う。
地面に這いつくばるようにして、眼に入った草はすべて小鎌で打ち抜く。
自分勝手に「無念無相の打ち」といっている。
宮本武蔵の『五輪書』の中にある言葉である。
「無念無想」は〈心に何も思わない〉で草に集中して抜いてやろうという意識がある。
しかし、「無念無相」は〈心に何も思わず、一切の執着を離れる〉で、草を抜いてやろうと意識しなければ、手が勝手に動くのである。
7時をまわると30℃近くになってくる。
しかし、暑いと思うのは我が心に雑念があるからだ。
「色即是空=この世のあらゆる物はすべて実体ではなく空であるから執着してはならない」
心を無にして「心頭滅却すれば火もまた涼し」の境地になり、ひたすら「無念無相の打ち」を続ける。
「ひたすら」の「ひた」は「一つ」の「ひと」、「すら」は「すらり」という擬態語。
「ひたすら」は〈一途に真っすぐ進む〉の意になる。
漢字では「只管」と書く。
曹洞宗の開祖、道元禅師(1200-1253年)の坐禅観を表した「只管打坐(しかんたざ=ただ一筋に座禅せよ)」からとられた漢字だ。
かくのごとく、我が草抜き・草取りは悟りを得るための修行、つまり、「只管草取」なのである。
くさとりの くの字をとりて さとりかな
8時をまわると体感温度は40℃。
しかし、無念無相で心頭滅却して只管草取。
なのだが、落花生の畝に行くと、足跡!
指の長さや肉球からしてアライグマ!
実をかじられた跡、土は掘られて葉は枯れている。
意馬心猿、怒り心頭、意気消沈。
我が悟りは一度に雲散霧消したのであった。
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