河内国喜志村覚え書き帖

大坂の東南、南河内は富田林市喜志村の歴史と文化の紹介です。
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畑……一念田植え

2023年05月22日 | 菜園日誌

畑の周囲で田植えが始まった。
昔は一日に一人で一反(いったん=約10a)を植えて一人前といわれたが、今は機械で一時間もかからない。
ただし、田植えにいたるまでは、①田おこし(耕うん)→②苗代(なわしろ)に種まき→代搔き (しろかき=田に水を入れて土を掻きまわす)と、けっこうな手間がかかる。
四月から田圃の準備が始まり、五月の上旬に種を蒔いて苗を育て、五月の下旬に田植えというのが標準だった。

 水足りて苗代青むはじめかな 正岡子規
苗代の「代」は古代の土地の単位。厳密にいうと、1代(ひとしろ)とは米2升が獲れる田のことをいうが、いつしか「代=田」の意味になった。
したがって「苗代=苗を作るための田」ということになる。

 代かくやふり返りつつ子もち馬 小林一茶
田に水を入れただけではでこぼこなので、昔は馬に馬鍬(まぐわ)という道具を曳かせて土をこねて平らにした。
代=田を掻きまわすから「代掻き」というのだが、代掻きが終わった田を「代田」という。
だから、「代掻き」「代田」の「代」は、「田」の意味ではない。
インドのタミル語である「ceru(泥)」からきているらしい。

苗代から代掻きを終えて、ようやく田植えができる。
浄土真宗の宗祖である親鸞聖人の『田植え歌』というのがある。

 五劫思惟(ごこうしゆい)の苗代に
 兆載永劫(ちょうさいようごう)の代をして
 雑行自力(ぞうぎょうじりき)の草をとり
 一念帰命(いちねんきみょう)の種おろし
 念々相続(ねんねんそうぞく)の水流し
 往生の秋になりぬれば
 実りを見るこそうれしけれ

(現代語訳)
 民のためとて 阿弥陀仏が五劫の永き年月 思案の末に苗代作り
 艱難辛苦 永き苦労を重ねて田を作り、
 信心乱す 自力雑行の草を取り、
 他力本願 み仏をひたすら信じる種をまき、
 六字の名号 南無阿弥陀仏を唱え続けて水流し、
 極楽往生 収穫の秋になったなら、
 五穀豊穣 実りを見ることの有りがたき。


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