畑の周囲で田植えが始まった。
昔は一日に一人で一反(いったん=約10a)を植えて一人前といわれたが、今は機械で一時間もかからない。
ただし、田植えにいたるまでは、①田おこし(耕うん)→②苗代(なわしろ)に種まき→代搔き (しろかき=田に水を入れて土を掻きまわす)と、けっこうな手間がかかる。
四月から田圃の準備が始まり、五月の上旬に種を蒔いて苗を育て、五月の下旬に田植えというのが標準だった。
水足りて苗代青むはじめかな 正岡子規
苗代の「代」は古代の土地の単位。厳密にいうと、1代(ひとしろ)とは米2升が獲れる田のことをいうが、いつしか「代=田」の意味になった。
したがって「苗代=苗を作るための田」ということになる。
代かくやふり返りつつ子もち馬 小林一茶
田に水を入れただけではでこぼこなので、昔は馬に馬鍬(まぐわ)という道具を曳かせて土をこねて平らにした。
代=田を掻きまわすから「代掻き」というのだが、代掻きが終わった田を「代田」という。
だから、「代掻き」「代田」の「代」は、「田」の意味ではない。
インドのタミル語である「ceru(泥)」からきているらしい。
苗代から代掻きを終えて、ようやく田植えができる。
浄土真宗の宗祖である親鸞聖人の『田植え歌』というのがある。
五劫思惟(ごこうしゆい)の苗代に
兆載永劫(ちょうさいようごう)の代をして
雑行自力(ぞうぎょうじりき)の草をとり
一念帰命(いちねんきみょう)の種おろし
念々相続(ねんねんそうぞく)の水流し
往生の秋になりぬれば
実りを見るこそうれしけれ
(現代語訳)
民のためとて 阿弥陀仏が五劫の永き年月 思案の末に苗代作り
艱難辛苦 永き苦労を重ねて田を作り、
信心乱す 自力雑行の草を取り、
他力本願 み仏をひたすら信じる種をまき、
六字の名号 南無阿弥陀仏を唱え続けて水流し、
極楽往生 収穫の秋になったなら、
五穀豊穣 実りを見ることの有りがたき。
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