「古都逍遥 京都・奈良編」「花の詩」「日常のこと」や花や風景写真

 京都・奈良を中心に古刹・名刹や「花の詩」等の紹介。花や風景写真、オリジナルの詩、カラオケ歌唱など掲載しています。

「紫式部とイワシ」

2022年08月08日 00時05分19秒 | いつも今が始まり(生き方論)

残暑お見舞い申し上げます。
暑い日が続き好きな写真撮影にも気がそがれてしまい、併せて綴り方も無精になって、せっかくお訪ね頂いたのに申し訳ありません。
ブログには上げていない、過去に新聞に綴ったものが続いております。
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ちょっと一服雑学の玉手箱

「紫式部とイワシ」
 平安時代の貴族たちは、強飯(こわいい)、魚介類、野菜などに塩や味噌などの調味料をつけて食べていたという。この当時はまだ調理の中で味付けをするという習慣がなかったようで、塩や味噌が唯一の調味料だったようだ。それと食材を自然発酵させて酸味をつけたものもあったようで、魚などを発酵させた食べ方があった。
 身分制度が厳しかった時代、貴族が容易に口にしなかったものの一つに「イワシ(鰯)」がある。一般的に食べられていたのは、鯉、鮎、鮒などの川魚で、海から捕れるイワシは貴族の口にすることは稀だったようだ。イワシから来る言葉の響きが「いやしい」に通じるというのが下品な魚と言われていたらしい。
 だがこの時代、キャリアレディーとして個性的に生きていた紫式部は、イワシがたまらなく好きだったようで、夫(藤原宣孝)が外出中にこっそり食べていた、ところが夫に見つかり咎められてしまったが、歌に詠んで反論したと伝えられている。
「日の本に はやらせ給ふ 石清水 まゐらぬ人は あらじと思ふ」(日本人なら石清水八幡宮に参らない人がいないように、イワシを食べない人はありますまい)。
 平安貴族は、消化が悪く、栄養の偏った食事をしていた上に室内に閉じ篭った生活が中心であったためか栄養失調や皮膚病、結核などに冒され早死にする人が多かったようで、世界初の長編小説「源氏物語」を書き上げた紫式部は、好んだイワシに含まれるDHA効果があったのかも知れない。
(出典:「信長の朝ごはん 龍馬のお弁当」毎日新聞社刊))

 

いのちの歌 - 竹内まりや


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「いつも今が始まり、一瞬懸命」 その18「忠恕」

2022年06月28日 18時14分01秒 | いつも今が始まり(生き方論)

 人間が人間として本質的に持たなければならないのは「人を思いやる心」であり、その心がなけれ人の心を動かすことも自分を活かすこともできません。 イソップ物語にある「北風と太陽」の教訓に見るように、攻めたてたとしても人の心のマントを取ることができないのです。人の心に寄り添うということの大切さを教えた寓話なのですが、では、人の、相手の心に寄り添うということについて、日本の古典本から例をあげてみると、「商い」について考えを述べたものなのですが、人付き合いにも通じるものがあると思います。
 江戸時代に石門心学を築いた石田梅岩の「都鄙問答(とひもんどう)第一巻「商人の道を問う」に、その根幹が記されています。それには「働いて得るお金はお客様からいただいたものである」という教えがあり、これが人と人との関係の根幹をなす考え方です。この認識を失えば私利私欲に立脚した自分本位に陥ってしまいます。だが、日本人は「お客様は神様です」という顧客上位の風潮がありますが、それは間違っています。提供するものがあれば受けるものが居る、相関関係でなりたつものなのです。欧米ではサービスを提供する、それを享受する。サービスによる料金の受持は対等な立場なのです。
 別の視点から考えてみますと、人間が人間として本質的に持たなければならない心のあり方、それは人を慈しむ心、思いやりで、私はこれを「人の心に花一輪、棘を残さず花を残せ」の精神だと考えてきました。
 中国の古典「論語」に書き記された話ですが、孔子が自らの生き方について「吾が道は一、以てこれを貫く」と弟子たちに説きました。弟子たちは「吾が道は一」という意味がわからず、孔子の高弟である曾子にその意味を聞くのです。曾子が言うには、「吾が道は一」とは、「忠恕(ちゅうじょ)」であると教えるのです。「忠」とは誠、誠実な心であり、「恕」とは慈悲深い思いやり。つまり「誠実な思いやり」という意味なのです。
 「忠恕」の教えも「人の心に花一輪」も思うところは同じで、誠実な思いやりを持って人と接し、相手の心に心地よい印象を残すというもので、自らを活かし相手も活かす人間関係のあり方なのです。互いに思いやるということが大切なのです。
 昨今、意見が異なると「分断」という言い方をマスコミなどでも使っています。意見の違い、考え方の違い、人種の違い等々、異なることって多いものですが、それを分断というべきではなく、考え方の相違というだけのこと。その相違があることを認識し合い共存することが大切なことで、「忠恕」であり「人の心に花一輪」ということだと思うのです。


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「いつも今が始まり、一瞬懸命」 その17 「一隅を照らす」

2022年02月10日 00時30分33秒 | いつも今が始まり(生き方論)
「一隅を照らす」
 私は人と話すのが苦手で、どちらかというとひっそりと物静かな非社交的な人間だった。
喫茶店の片隅でクラッシック音楽を聴きながら、孤独に本を読んでいた人見知りの激しい性格だった。
 大学を卒業し、保険会社に入社した頃の私の仕事は外務関係の事務職で、自分の性格に適した勤めだと思っていた。
だか、わずか10カ月の本社勤務から拠点事務職として配置転換となった。拠点勤務を命じられると事務をしながら営業活動もしなければならなかった。これも経験だと思ったのだが、元来引っ込み思案の性格で自信がなく逃げてばかりで営業成績は振るわなかった。
 悩み果てて会社を辞めようかと思い悩んでいたそんなときに出会ったのが「一隅を照らす」という言葉だった。
 会社を辞めるかどうか父に相談するため帰省し、そのとき気晴らしにと比叡山延暦寺を参拝した。
 そこで出会ったのが運命を変えた「一隅を照らす」という言葉だった。
 「一隅を照らす」。この言葉は比叡山延暦寺を建立した最澄上人の言葉。
「国宝とは何ものぞ、国宝とは道心である」から始まる「山家学生式」という教育方法書の冒頭に記されている。
 一人ひとりの力には限りがあり小さい。しかし、それは世の中の片隅の小さな幸せを守る愛の灯である。尊い人の命と愛を語る真の保険営業を志す者が一人でも多くいれば、あまねく万灯篭の輝きとなって、世の中の幸せを守ることができる。一隅を照らす尊き仕事、この仕事をする者は皆、社会の尊き宝となる。
「一隅を照らす」意味をそのように理解しました。
自分の心構えが自分を駄目にしている。稲妻の衝撃を受けたかのように自分に目覚め、この言葉を私の理念として、自分の歩むべき真のあり方を我が道を求めよう、そう心に誓ったのです。
 以来、私は「一隅を照らす」、仕事を通してこの道を求めるために自己革新をはかりながら一筋に歩み続けたのです。
 自らを変える、そしてセールス成功の秘訣は一歩を踏み出す勇気、そして「お客のためだ、強くなれ」、この意志の問題だったのです。
 以来、私は現役を離れ今日に至るまで、生き方として「一隅を照らす」を片時も忘れないように心がけ、人間関係においてこの理念のもと「人の心に花一輪 棘を残さず花を残せ」を貫いています。(生き方論で長文になることから要点を述べてみました)



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「いつも今が始まり、一瞬懸命」 その16

2021年11月07日 18時08分15秒 | いつも今が始まり(生き方論)
「私はできる」
 ユダヤ教のある導師が「砂漠を旅するものは星に導かれて歩む」という言葉を残している。
これをM・ケトヤー氏が「ユダヤ人の発想」という著書の中で次のように表現しています。
 「彼(旅人)は星に向かって歩んで行く。星に到達することなどできないが、星に近づこうとすることによって、目的地である町にたどり着くのだ。人がそれぞれ掲げる理想は星のようなものである。」
 この教訓は、私たちに理想達成のあり方を教えています。天上に輝く星は理想であり、それを見失わず進む信念は必ずや目標に到達するであろうと教えているようにも思われます。
 理想を目的地に向かって果てしなく続く汽車のレールにたとえてみましょう。そして信念をその上を走る機関車と考えてみます。また、知識や技能を客車とすると三者の関係がはっきりしてきます。
 理想というレールがあっても、信念という機関車がなければ前に進むことはできませんし、牽引する客車もただの箱になりかねません。信念の機関車が動き出し、三者が一体となって加速をつけて走り続けなければ、志を遂げる力とはならないのです。この信念が情熱というエネルギーで突き進むとき分厚い壁でも突き破ってしまうことでしょう。
 理想と信念の関係についてお分かりいただけたでしょうか。
 果てしなく続く壮大なロマンともいえる理想のレールの上を、信念という力強い機関車を走らせましょう。エネルギーである情熱を絶えず燃やしながら突き進みましょう。その継続は力となって、あなたに襲い掛かるあらゆる障害も壁も打ち砕いて突き進むことでしょう。
 もう何も思い煩うことはありません。心に描いたあなたの人生、思い迷わず積極的に「何とかなるさ」の思いで突き進みましょう。この先何が起ころうと迷ってはなりません。
 人生には四つ耐えなければならないことがあるといいます。それは、「冷に耐える・苦に耐える・煩いに耐える・閑に耐える」であり、これを説いたのは中国・清の時代の曾国藩です。人生にはこの先きっとこの四耐が口を開けて待ち構えているはずです。理想を失わず歩みを止めず、決して恐れたり落胆したりせず挑んでいけば、四耐の山も谷も越えることができるはずです。
 しかし、時として人間である以上、心が萎えるときがあります。心構えや意志の力が加速を落とすこともあるでしょう。だから朝目覚めて毎朝歯を磨くように、心構えも磨かなければなりません。
 心に癖をつけましょう。心に癖がつけば行動にも癖がつきます。前向きで積極的な心の癖をつけましょう。成功実現を心に描き続けることです。「私は想像する(成功することをイメージする)、私はそう思う(成功すると心に絶えず言い聞かせる)、私はそう信じる(成功すると信じて行動する)、私はきっとそのとおりになる」。このようなイメージを描き「私はできる、私はできる、私はできる」と言い聞かせ歩みましょう。「あなたはきっとできる」。


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「いつも今が始まり、一瞬懸命 」(その15)

2021年10月04日 16時11分29秒 | いつも今が始まり(生き方論)
 久しぶりに「いつも今が始まり」を綴ってみました。
 今回は「論語読みの論語知らず」と題して「相手の立場にたつ」を考えてみました。
 論語を読んでも、その字義だけを理解するだけで、実行がともなわないということをさしている。
 「なるほど、なるほど孔子はいいことを言う、勉強になった」。ただそれだけで、その教えに対して人生への教訓として行動にあらわすかというとそうでもなく、字面だけを理解して、「君、君子曰くだね、仁とはねぇ…」と知識をひけらかすばかりでは何もならないと皮肉ったものである。
 商品販売やサービス業において「お客さまの立場に立って」という言葉をよく耳にするが、実のところ、企業利益のため自己利益に軸足をおいた発言であることが多い。利他の精神に立った「お客さまの立場に立って」という精神の薄さが見て取れる。ニュースでさわがれた一流ホテル、料亭の虚偽の食材(偽装表示)などもその良い例である。
 「顧客志向」「お客さまの立場に立って」という考え方を理解するのにとても良い例があります。

 故人となられたが元千葉大学名誉教授多湖 輝氏の著書「動けば叶う」(光文社)に、「子供の視点」で見るだけで別の世界が見えてくる。というテーマで次のようなクイズが紹介されている。
 ある高層マンションの9階に住んでいるBさんは、一人でエレベーターに乗る時、下りる時は一階までエレベーターを使うにもかかわらず、9階に上がる時はいつも3階までエレベーターで行き、あとは階段を使うという。いったい何故だろうか。
 さて、皆さん如何でしょうか、この謎解けるでしょうか?
 
 その答えは幼い子供だったからです。
 幼い子供だから、上がる時にエレベーターのボタンが3階までしか手が届かず、仕方がないので3階で降りて、あとは階段を登るしかなかったのです。
 大人の視点でエレベーターのボタンを取り付けたことから、このような不都合が生じたというわけで、子供の視点で見つめればこのような取り付け方は起こらなかったはずです。必ずしもこの例が的を得ているとは言えませんが、クイズを顧客志向に置き換えて考えてみると、エレベーターを設計した人は大人に標準を合わせボタンを取り付けたのであって、生活の中に子供が居ることなど配慮していないということが読み取れるでしょう。
 お客の立場に立つとは、作る側の都合ではなく、使う側の利便さに立つということであり、このエレベーターとボタンの関係やバリヤフリーなどをはじめとして、作る側、売り手の都合によるものがまだまだ多く、相手の立場になったものの考え方、発想をしていない。

 顧客本位の販売理念について一つ例をあげてみると、江戸時代に石門心学を築いた石田梅岩の「都鄙問答(とひもんどう)第一巻「商人の道を問う」に、その根幹が記述されています。それには「働いて得るお金はお客様からいただいたものである」という教えがあり、これが販売(商い)の根幹をなす顧客本位の考え方です。この認識を失えば売手本位の私利私欲に立脚した販売に陥ってしまいます。
 セールス(商い)で働いているお金、つまり報酬はお客様からいただいていることになります。この「あり難い気持ち」を忘れないことによって、お客様の立場に立つという販売とサービスへの配慮が生まれてくるのです。このことは日々の人間関係にも通じていることなのです。

顧客志向を提唱しながらも実は利益追求のためであったりすることが現実に多く、「論語読みの論語知らず」ということになるのではなかろうか。


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いつも今が始まり「下手でよい」

2021年08月15日 16時31分03秒 | いつも今が始まり(生き方論)
「下手で良い、嫌からず日々コツコツと」
 上手と下手というのは何を基準にして、また尺度にして区別するのだろうか。
歌が下手というが、絵が上手であるかもしれない。話下手の人がトップセールスマンというのも結構多いものである。
発明王といわれたエジソンは学校嫌いで、牧師夫婦が開いていた小さな学校に行かされたが成績はビリ。3ヵ月ほど通ったものの、教師が「あいつは頭は腐っている」と言われ学校を辞め、以来、母親から教育を受けた。
また、最も偉大な理論物理学者であり、「相対性理論」や「光量子仮説}などでノーベル賞を受賞したアインシュタイン博士は、児童の頃は勉強嫌いの劣等生であったという。
 このように苦手といううものがあったとしても、それがその人の全てを否定する要因とはならない。
 落語家の柳家こさん師匠は、寄席の世界に入ったものの、無口で話下手であったと後に語っている。
ではなぜ、話を生業とする落語家となり、名人といわれる咄家になったのだろうか。
こさん師匠はこう語っている「無口で話下手と自覚していたから、話し上手の中に入っていくことで、話すことが身に就いた」と。
 この教訓はこうだ。
苦手と意識していることに自分の身を置いていれば、門前の小僧、習わぬ経を読むのたとえのように、いわゆる「朱に交われば赤くなる」の如くなのだ。苦手なものでも慣れ親しんでいれば、自然に身についてくるもので、苦手から逃げない、避けて通らないということが、苦手を克服し得手になっていくということ。
 人間関係でも同じようなことがいえ、どうにも虫が好かないとか、嫌な奴と思えるような人でも、否定せず拒まず、避けず交わり親しんでいくことにより「なんだ、いい人だった」ということすら多い。
 下手と認識することができれば、それを上手に変えることができる。
要するに逃げないこと、素直に前向きに努力することで報われるものなのだ。
避けて通れば決して報われることは無い。嫌からず日々コツコツと積み重ね努力することにより、次第に上達し好きに転じてくるものなのだ。





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「いつも今が始まり、一瞬懸命 」(その13)

2021年05月29日 11時56分25秒 | いつも今が始まり(生き方論)
 久しぶりに「いつも今が始まり」を綴ってみました。
Z世代との付き合い方「褒め言葉の効用」
「人間は称賛を渇望して生きている動物」といわれています。褒めてもらうことを期待しているのです。
そしてまた褒められて嫌な気分になる人はほとんどいません。
 褒め言葉は人間関係(商い)の潤滑油と申します。
誠実な褒め言葉は命の息吹のように人の心を明るくし、幸せな気持ちにさせ、時には萎えた心を元気づけ、勇気をも与えてくれます。
 褒めるということは、こちらから褒めちぎらなくても、相手に自慢話をさせて、自分で自分を褒めさせてあげるということでもよいのです。
そのきっかけとなる褒め言葉は用意しておかなければなりません。
会話の中で褒めるべきところをすばやく見つけ仕掛けることも人間関係づくりの秘訣なのです。
褒めるということは「相手」のことを認めてあげるということでもあります。
「Z世代との付き合い方」
 認めてもらえる、信じてもらえる、期待され任されているという思いにさせ、見守りながら育てていくというのがZ世代の教育法、人間関係づくりの秘訣。
我々戦中派や団塊世代には考えられない世代がZ世代といえよう。
Z世代は否定されることを嫌がる。「ダメ」「言われた通りにヤレ」「どうして分らんのだ」等など頭ごなしに否定される育ち方をしていない世代なのだ。「叱れば」パワハラと嫌われ、すぐに辞めて行く。
ひどい時には「ブラック企業」などと風潮してしまう。企業戦士の我々世代には理解しにくいことなのだが・・・。
子供を育てるとき、子供の気持ちになって考えてみる。
自分の子供時代の事を思い浮かべ、親から叱られたとき「どうして僕の気持ちがわからないのだろう」と思ったことも多いのではなかろうか。
 誉め言葉の効用は“うまく動かすために”「相手の気持ちになってみること」ということでもあるのです、特にZ世代には。



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いつも今が始まり、一瞬懸命(その12)

2021年05月07日 22時00分07秒 | いつも今が始まり(生き方論)
 
 今回は日本人の心について思いを巡らせた。

「人情は日本人の心の根」
 日本人は花鳥風月をこよなく愛する民族である。それは美しい四季と恵まれた山海の豊かさがあったからかもしれない。その花鳥風月を31文字や17文字に凝縮して心情を表す、美しい世界最小の詩、和歌、俳句というものを作りだしたのも日本人の言葉少なく伝えるという、細やかさからかもしれない。
 日本人は古来より言葉を「言霊」といい、言葉には「霊」が宿っていると信じられてきた。
万葉集にも言霊を詠んだ歌が多く見られるのも言葉を敬い大切にしてきたからであろう。
日本語は英語に比べ常用語が多いといわれ、英語の1500文字に比べ日本語は2500文字と、英語より1000文字も多いそうだ。これなども日本人の「情」を伝える繊細な言葉表現といえるのではなかろうか。
 たとえば「雨が降る」という表現にしても、「しとしとと降る」「パラパラと降る」「ザーザー降る」「ぽつりぽつりと降ってきた」「矢のように降っている」「沛然と降る」「霧のように降る」「潸潸(さんさん)と降る」等など、同じ雨が降るでも多くの表現語がある。
 歌謡曲「津軽恋女」(新沼謙治)に歌われている津軽の雪の表現に「津軽には七つの雪が降るとか・・・こな雪・つぶ雪・わた雪・ざらめ雪・みず雪・かた雪・(春待つ)氷雪」とまさに日本人の情緒だ。
 また日本画をみても洋画と比べ表現の違いがよくわかる。たとえば風景画、洋画はキャンパス一面に絵具が塗られ空白という無地がなく、加えて幾重にも重ね塗りがみられる。日本画、特に水墨画はどうだろう。水墨画は主題を囲む部分にや色彩が少なく、また無地、空白が多くみられることが洋画と比べ際立っている。いわゆる無地という余白が主題を引き立てているのだ。余白が語らしめる美の世界。言わずして語るというところだろうか。
 日本人の心の根は、人に優しい、自然に優しい思いやりであろう。人情は日本人の心そのものといえよう。だから人と人とが織りなす人間関係において人情を無視して接することは避けなければならない。仕事上の場合であればなお更のことだ。
 人と接する営業の仕事、接客の仕事上での話し方というのは、大変重要な意味をもっていることから、話し言葉というものに十分な心得が必要されよう。
話し方、つまり説得話法には二本の柱がある。
その一つの柱が「理性的、理論的、計数的」な説得。
二つ目の柱が「情緒的、感性的、感情的」な説得。
人はこの二通りの性格があります。人さまざまですから一概には決めつけられませんが、大別すれば「理性肌」と「情緒肌」に区別できるだろう。
 欧米人と異なり日本人の心を動かすものは、心に響く言葉、人情という琴線に響く言葉で、それは、理屈では割り切れない情緒的、感情的な要素が根底に流れているからです。説得する場合、琴線に響く言葉、そう「殺し文句」が重要なポイントとなり、その言葉は日本民族に流れている「言霊」である。だが人の心を動かすには「理」だけでは動かせず、かといって「情」だけでも動かない。「理」と「情」を絡めて心を込めて話せば、人は心を開き耳を傾け、あなたの説得を受け入れるだろう。
 




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いつも今が始まり、一瞬懸命(その11)

2021年02月22日 00時20分54秒 | いつも今が始まり(生き方論)
「一燈をさげて闇夜を行く。闇夜を憂うることなかれ。ただ一燈を頼め」
 
 明治維新を成し遂げた志士たちの、その志しの根底をなした精神に』…「一燈をさげて闇夜を行く。闇夜を憂うることなかれ。ただ一燈を頼め」(言心録)という名言がある。
その一燈とは何か。それは「自らの理想に燃える信念」である。
大競争のグローバル時代、アゲインストの風の中でそれを嘆いていてもはじまらない。一途な信念がある者はいかなる逆風であろうと、その願望を成就することができるものだ。そのベクトルの力は「よし!やろう」、この思いに他ならない。

自らの一燈を頼り、生涯を貫いた事例がある。
 京都府宇治市の郊外、妙高峰の裾野に所在する黄檗派禅宗の大本山「萬福寺」がある。
そこの宝蔵院に鉄眼禅師の一切蔵経版木が重要文化財として保管されている。
中国明版の経・律・論の三蔵聖教を基にして、版木6万枚、経典2千数百冊にも及ぶ膨大な版木である。
 鉄眼は明の聖教を学ぶためには、いちいち写経をしなければならない現状を憂いて多くの修行僧や民衆のために版木を制作し、広く普及させねばならないと考えた。そしてそれが自らの務めだと心に誓うのだ。
 
 「黎明がうっすらと東山(京都)の稜線を映し出すころであった。
 粟田口にみすぼらしい一人の僧が、白い息を吐きながら佇んで居る。
 春の盛りではあるが、薄衣と素足の出で立ちではいささか寒さが堪える時節である。
 人ひとり通るはずのない時刻であったが、その僧は身じろぎもせずただ黙して佇んでいる。
 いっときも経ったであろうか、ようやく朝霧があがりはじめるころ、静寂をついてひたひたと急ぎ足で近づいてくる人の気配がした。
その人影がぼんやりと識別できるほどに近づいてきたのを見ると、歳のころ三十路を過ぎたで武士であった。
僧は侍を呼び止め「ご喜捨をお願い申す」と声をかけた。
侍は一見乞食坊主のようなみすぼらしい姿に、物乞いと思い「急ぎ申す」と目もくれず立ち去ろうとするのである。
しかし僧は侍の後を五間ほどあけて追うようについて行くのである。
侍は僧を振り返りながら「喜捨はできぬ、立ち去らぬか」と吐き捨てて、また急ぎ足で行くのだが、しかしなおも僧は侍の後を追い続けた。
「しつこい奴じゃ。喜捨はできぬと申したではないか。」
僧は聞こえてか聞こえないのか諦める様子もなくひたすらついて行くのだった。
侍はいささか感に障った様相にて「拙者には喜捨する金など持ち合わせてはおらぬが、何故に拙者の後をつけてくるのじゃ」と睨みつけるように尋ねた。

「拙僧には心に堅く誓った思いがございますれば、今朝より粟田口に立ち申しました。
この一念を持ちたる日に、初めてお会いするお武家さまに喜捨を断られれば拙僧の心が挫けてしまうかも知れないのです。
恐れ多いことと承知しているのではございますが、一文なりともご喜捨をお願い申し上げたくついて参ったのでございます」
 侍はその僧のただ事ではない覚悟のほどを察し、その存分の子細を聞き出し感服し、喜捨をするのである。
 このみすぼらしい僧こそが鉄眼禅師その人である。
 これより17年の歳月をかけ諸国を托鉢行脚に身を投じ、版木制作の資金を集め、世に名高い「鉄眼の一切経」蔵版木を完成させたのである。

 鉄眼の一燈とは「世のため人のため」となる「利他」の志しであった。
「一燈を持つもの暗闇を恐れることはないのである。
 強き志しのある者は、先行きの見えない闇の中であろうが、不透明な霧の中であろうか、わが目指す道を見失うことはない。」


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「いつも今が始まり はじめに言葉ありき」 (その10)

2021年02月15日 22時22分04秒 | いつも今が始まり(生き方論)
 口から言葉として解き放たれたら、もうその「言葉」は元には戻らないものだ。
 聖書に「はじめに言葉ありき。言葉は神とともにあり。言葉は神なり。よろずのもの、これによりて成る。」(『新約聖書』-ヨハネによる福音書)
 日本にも「言霊」と云って言の葉には神が宿るものとされてきた。
 今回の森会長が放った言葉は、たとえそれが引用として使われたものであっても、マスコミに切り取られた一言であったとしても、慎重さが必要ではなかったろうか。会長、いや元会長の実績・功績に対し敬意を表するに値するものがあるにせよ、それだけの実績を積む人が軽々に発する言葉ではなかっただろう。
 後任の選任で透明性、透明性と叫ぶが、人事について硝子張りにすることもできないだろう。「この人が適任」「いやその人はこんな性格もある」「あの人はどうだろう」等々をガラス張りにて論じ合えば、選任される段階で人格までも丸裸にされかねない。人事選考は不透明でなければ個人の尊厳にかかわることにもなる。
 いずれにしても、人の上に立つ人、リーダーになる者は「言葉」という曲者に警戒せねばならない。「言葉は神」と思い神の言葉で愛をもって語らねばならないだろう。放たれた言葉の重要性を理解していない者は人の上に立つべきではない。


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