聖護院は寛治4年(1090)白河上皇の勅願で創建された修験宗総本山の門跡寺院。この年、熊野権現へ参詣した白河上皇の先達を、修験僧として知られていた三井寺の増誉が務め、熊野三山へ案内して聖体護持の祈願をした。参詣後に上皇が現在地に1寺を建立、聖体護持から2字を取り「聖護院」の院号と共に増誉に与えたのが起こり。
修験道は約1300年前、役行者(えんのぎょうじゃ)によって開かれた。
那智の滝で千日間の参籠修行の後、大峰修行をした天台宗第5代座主の智証大師・円珍が、修験道を継承しその後、増誉がこの教えを引き継いでいた。現在の建物は延宝4年(1676)の再建で、宸殿、本堂、書院(国・重文)、北殿があり、書院は御所の一部を移築したものである。宸殿は140面の狩野派の障壁画で彩られており、これらの絵を眺めていると荘厳な雰囲気に包まれ、俗世界から隔絶された気分に浸れる。
天明8年(1788)の大火で御所が炎上した時、光格天皇がここを仮皇居とし、3年間ここで政務を行った。宸殿には仮皇居当時の上段の間が残っており、ほかに一夜造りの御学問所、御茶室などの遺構が多く残されている。また、安政元年(1854)の御所炎上の時にも、孝明天皇が聖護院を仮皇居としたことから「聖護院旧仮皇居」として国の史跡に指定された。
宸殿の東側にある庭は美しい苔で埋められ、樹齢200年を超す馬酔木(あせび)がある。南の庭は白砂が敷き詰められており、ここは山伏の秘法「採燈大護摩供」が行われる修験道の道場でもある。
明治時代まで聖護院の周囲はうっそうとした「聖護院の森」が広がっていたので、聖護院は「森御殿」とも呼ばれ、この一帯が大自然に包まれた庭でもあった。また、この森が紅葉すると錦の織物のように美しい景色を創り出すため「錦林(きんりん)」と呼ばれ、今も錦林小学校などの名前として残っている。聖護院の名も地名として残っていて、この付近で生産されていた大根を聖護院大根と言い、参道で売ったのが起こりの聖護院八ッ橋がある。
八ッ橋の菓子は「聖護院八ツ橋総本店」(屋号「玄鶴堂」)作られ、 屋号の「玄」は、黒谷(京都東山の地名あるいは金戒光明寺の通称)の「黒」を表し、「鶴」は、鶴の鳴き声が琴の音色の似ていることから名付けられた。また「聖護院」は、地名(もしくは聖護院門跡の通称)で、「八ツ橋」は、近世箏曲の開祖といわれる「八橋検校」(慶長19年(1614)生まれ)に由来している。
歿後4年の元禄2年(1689)黒谷参道の聖護院の森の茶店で、琴の形に似せた干菓子を、「八ツ橋」と名付けて発売したのが、「八ツ橋」の始まりといわれており、その場所が創業の地(現在の本店の場所)である。京土産「八ツ橋」は、近世筝曲の開祖と呼ばれる「八橋検校」に由来している。
八橋検校は、京都黒谷の金戒光明寺(塔頭・常光院)に葬られ、「鏡覚院殿円応順心居士」と号した。
所在地: 京都市左京区聖護院中町15。
交通:JR京都駅より市バス206、熊野神社前下車、徒歩5分。阪急電鉄河原町駅より市バス201・31で熊野神社前下車。
修験道は約1300年前、役行者(えんのぎょうじゃ)によって開かれた。
那智の滝で千日間の参籠修行の後、大峰修行をした天台宗第5代座主の智証大師・円珍が、修験道を継承しその後、増誉がこの教えを引き継いでいた。現在の建物は延宝4年(1676)の再建で、宸殿、本堂、書院(国・重文)、北殿があり、書院は御所の一部を移築したものである。宸殿は140面の狩野派の障壁画で彩られており、これらの絵を眺めていると荘厳な雰囲気に包まれ、俗世界から隔絶された気分に浸れる。
天明8年(1788)の大火で御所が炎上した時、光格天皇がここを仮皇居とし、3年間ここで政務を行った。宸殿には仮皇居当時の上段の間が残っており、ほかに一夜造りの御学問所、御茶室などの遺構が多く残されている。また、安政元年(1854)の御所炎上の時にも、孝明天皇が聖護院を仮皇居としたことから「聖護院旧仮皇居」として国の史跡に指定された。
宸殿の東側にある庭は美しい苔で埋められ、樹齢200年を超す馬酔木(あせび)がある。南の庭は白砂が敷き詰められており、ここは山伏の秘法「採燈大護摩供」が行われる修験道の道場でもある。
明治時代まで聖護院の周囲はうっそうとした「聖護院の森」が広がっていたので、聖護院は「森御殿」とも呼ばれ、この一帯が大自然に包まれた庭でもあった。また、この森が紅葉すると錦の織物のように美しい景色を創り出すため「錦林(きんりん)」と呼ばれ、今も錦林小学校などの名前として残っている。聖護院の名も地名として残っていて、この付近で生産されていた大根を聖護院大根と言い、参道で売ったのが起こりの聖護院八ッ橋がある。
八ッ橋の菓子は「聖護院八ツ橋総本店」(屋号「玄鶴堂」)作られ、 屋号の「玄」は、黒谷(京都東山の地名あるいは金戒光明寺の通称)の「黒」を表し、「鶴」は、鶴の鳴き声が琴の音色の似ていることから名付けられた。また「聖護院」は、地名(もしくは聖護院門跡の通称)で、「八ツ橋」は、近世箏曲の開祖といわれる「八橋検校」(慶長19年(1614)生まれ)に由来している。
歿後4年の元禄2年(1689)黒谷参道の聖護院の森の茶店で、琴の形に似せた干菓子を、「八ツ橋」と名付けて発売したのが、「八ツ橋」の始まりといわれており、その場所が創業の地(現在の本店の場所)である。京土産「八ツ橋」は、近世筝曲の開祖と呼ばれる「八橋検校」に由来している。
八橋検校は、京都黒谷の金戒光明寺(塔頭・常光院)に葬られ、「鏡覚院殿円応順心居士」と号した。
所在地: 京都市左京区聖護院中町15。
交通:JR京都駅より市バス206、熊野神社前下車、徒歩5分。阪急電鉄河原町駅より市バス201・31で熊野神社前下車。