「古都逍遥 京都・奈良編」「花の詩」「日常のこと」や花や風景写真

 京都・奈良を中心に古刹・名刹や「花の詩」等の紹介。花や風景写真、オリジナルの詩、カラオケ歌唱など掲載しています。

朝目覚めれば新しい自分がある「生かすも殺すも自らの手の中」 

2025年03月02日 20時51分24秒 | 朝目覚めたら新しい自分がある
講演家として活動していたころ、講演の締めくくりの話として取り入れていたもので、私自身の励みにもなっていた。

朝目覚めれば新しい自分がある
「生かすも殺すも自らの手の中」 
 北米のある電機メーカーが扇風機の販路拡大を図るため、未開拓地域であったアラスカにセールスを仕掛ける戦略を立て販売員たちを派遣した。ところかほとんどの販売員が音を上げて引き上げてきた。「あんな寒いところで扇風機なんか売れっこない。だいたい売ることが無謀だ」と苦言を呈したのです。
 ところが一人の販売員から「扇風機が足りない、もっと送れ」と連絡が入った。みんな何事が起こったのかと不思議がった。
彼が戻って来ると「どうやって売りさばいたのだ」と、口々に質問を浴びせられた。
「な~に簡単さ。扇風機を室内の循環器として売ったのさ」。
寒いアラスカではどこもしっかりと部屋が密封されており、室内に洗濯物が干されていた。扇風機を回して暖気を循環させれば洗濯物が早く乾く、それに部屋全体の温度をまんべんなく一定にすることができる。彼はそこに目をつけ、売れる方法を考えだしたのです。
 さて終わりにあたって、一つの例え話をして締めくくりたいと思います。
あるところに美しい森がありました。この森に人の心を何でも言い当ててしまう賢い老人が住んでおりました。
 或る日、村の少年たちが、今日こそはあの老人をギャフンと言わせてしまおうと集まり、知恵を出し合っておりました。
ある少年が、そうだ一羽の小鳥を持ってきて、その小鳥を手の中に包んで、老人にこんな質問をしたらどうだろう、と提案しました。
少年たちはどんな妙案かと、その少年の話に耳をそばだてました。
「いいかい、小鳥を手の中にこう包んで、手の中の小鳥が生きているか死んでいるのかを当てさせるのさ、老人が死んでいると言えば、小鳥を大空に離してホラ生きていると言えばいい。もし生きていると言えば、残酷だけど手の中で握りつぶしてホラ死んでいる、と言えばいいじゃないか」
なるほど、そいつぁー名案だ、きっと分かりっこないぜ。
 少年たちは森の中へ入っていった。老人は憩いをとって目をつぶっていた。
さきほど打ち合わせたとおり、その少年は得意満面な顔で、「やい、この手の中の小鳥、生きているか、死んでいるか、当ててみなよ~」
老人はしばらく考え込んで、しっかりと口調で、「その小鳥、生かすも殺すも、君の手の中にある」
少年たちは何も言うことができなかった。
成功するも、失敗するも、幸せになるのも、不幸せになるのも、売れるも、売れないも、すべて自らの心の中、「生かすも 殺すも、君の手の中にあるのだ」。



 




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鉄道博物館で昭和を懐かしんだ

2025年03月01日 10時56分40秒 | 日常のこと&写真
  昨日は梅の撮影というより鉄道博物館内巡りが楽しかったかもしれない。オールドファンの自分にとってはSLも懐かしいがディーゼルや初期の電気機関車も懐かしかった。特に特急「つばめ」や二等・一等寝台車にも思い出がある。「つばめ」は学生のころ東京から大阪まで朝9時出発すると夕刻16時30分に大阪駅に着く。それでも早いと思った。九州に住んでいたころはまるまる24時間列車に揺られていた。特急などは高根の花で急行に乗って帰るのだが、座って帰るために東京駅に早くから並んで席を確保したものだからその数時間も入れると25・6時間を要した。東京・博多間の所要時間は23時間15分、私はそこからか佐賀の自宅まで乗り継いで4時間だったのでたどり着くまで28時間はたっぷり、家に着くとまず寝る・寝る・寝る・・・。
 そんな思い出を思い出しながら博物館を巡った。子どもたちは一日遊べるだろう。
 この博物館の屋上からの眺望を早く知っていたら新幹線の「ドクターイエロー」車を東寺を背景に撮影しただろうにと惜しんだ。静岡に赴任していたときは富士川河川敷からよく撮影したものだが・・・懐かしい。















コメント (2)
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