京都ゑびす神社は西宮・大阪今宮神社と並んで日本三大ゑびすと称され、「えべっさん」の名で親しまれている。
起源は約800年前土御門天皇の建仁2年(1202年)、栄西禅師が建仁寺建立にあたり、その鎮守として最初に建てられた。
「ゑびす様」と言えば「商売繁盛の笹」をイメージされますが、ゑびす信仰の象徴とも言える笹は元来京都ゑびす神社独自の「御札」の形態が広まったもので、笹は縁起物の松竹梅の竹の葉で「節目正しく真直に伸び」「弾力があり折れない」「葉が落ちず常に青々と繁る」といった特徴から家運隆昌、商売繁盛の象徴となった。
御祭神としている八代言代主大神(やえことしろぬしのおおかみ)・大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)・少彦名神(すくなひこなのかみ)を、主祭神として祀ってあるのは当神社だけで、正面から入ったこの鳥居は、全国的にも珍しい京都産の白川石で出来
ており、1本の白川石で造られた建造物としては、京都でも最大のものといわれ、同じ白川石で出来た恵比須神像は江戸時代の作と伝わる。
京都「恵美須神社」独自の祭礼であった「ゑびす講」は、江戸時代初期になると日本全国に広がりをみせるが、それは呉服を中心とした京・近江の商人の「渡り商い」(行商)によるものとみられている。
渡り商い人達は、江戸を中心に、全国で商いをしていたが、旧暦の9月20日の頃に京に戻り「ゑびす神」に旅の無事と商売繁盛のお礼参りしていた。
渡り商人たちは、年末・年始を京都、近江で過ごし、商いの準備をして、1月の「十日ゑびす」に神社へお参りして、無事な商いと商売繁盛を祈願して、再び行商に出たと言われている。現在でも京都の呉服商の老舗などでは、この風習を守り、家内に「ゑびす神」像を奉り、神職を招いて「ゑびす講」をお参りをしている。
京都独自の風習であったものが、渡り商いの商人たちにより全国に広がり、その土地の風習と融合して、今日各地で行われる「ゑびす講」となった。
所在地:京都市東山区大和大路通四条下ル小松町125。
交通:京阪電車四条駅下車、徒歩6分。阪急電車河原町駅下車徒歩10分。
JR京都駅バス17・205系統で河原町松原バス停徒歩約5分。