ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け35年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

この正月休みは香川県小豆島に行ってきましたが、どうも失敗ばかりでした(20240104)

2025年01月04日 | 旅の記録

 2025年1月1日から3日、香川県小豆島に行って来ました。島から島へ(沖縄島から小豆島へ)の企画だったのですが、寸足らずというのか、私の思慮が足らず、芳しい結果にならなかった。365日のうち、3日間ぐらいは軍事のことを考えずに過ごしたい。連れ合いと過ごしたいと思い企画を立てたのですが、無理があった。

 私が小豆島に行ったのは、1966年5月の中学校修学旅行と、10年前の2015年3月30日~4月1日以来のことです。10年前は一人でデジタルカメラでの撮り始めに、瀬戸内を巡った一コマが小豆島だった。ここに寄った、大きな理由は、瀬戸内一帯が石灰岩の産地であり、小豆島は大阪城の城壁の産地だったのです。沖縄防衛局は当時、辺野古・大浦湾の埋め立てに小豆島の鉱山も使う候補に挙げていました。だったらどんなところか見てこようと思ったのでした。

 で、10年前の私は沖縄島に住んでおり、那覇空港から神戸空港に飛び、ジャンボフェリーという奴で神戸港から坂手港に向かいました。この船旅が良かった。だからこそ、大きな勘違いをしていた。兵庫県三宮に泊まって、朝便で小豆島に向かったのです。だから当然、余裕で行けた。そこを私は忘れており、たかを括っていました。神戸から小豆島に行くのは午後からでは間に合わず、岡山港からとなり、時間の調整に追われました。結局、新神戸から岡山駅まで新幹線に乗らないと間に合わないことが判明し、2転3転。

 私の計画は、ギリギリの乗り換え路線となりました。どこかで遅れたら、まずいかなぁと思いつつ、深読みしないままだった。善後策をもっと検討しておくべきでした。一人旅ならば、結果責任は自分が負うのですが、二人旅(複数の旅)は、パートナー(周り)を巻き込んでしまう。ソラシドエアの遅れ20分が、岡山駅で1時間の遅れになり、17時の船に乗れず、最終の18時30分になってしまい、真っ暗な中になった。90分遅れ。ただ宿を土庄(とのしょう)港のそばにしたために、傷は軽傷で済みました。

 新幹線の多くの便が全席指定になっており、次の次の次にやっと乗れた。船の最終便に間に合って、助かった。2日目は、お決まりの観光コース。映画村とオリーブ園。バス移動だし、連れ合いの体調を考えれば、無理な歩け歩け路線を取れない。詳細は別の報告に委ねます。3日の帰りは福田港から姫路に出た。姫路城に行くつもりでしたが、これも時間が詰まり無理となりました。私はここで分かれ、一人姫路駅2階から姫路城の写真を撮りました。ここでカメラトラブルが起きておりました。セットが英語になっており、2017年1月1日になっていた。これを日本語、2025年1月3日に登録し直しました。おかげで大きなトラブルになっていませんでしたが、後ほど全部点検します。

 そして1月3日の神戸空港です。帰りは混むだろうと予想していましたが当たり。スカイマークは軒並み遅れていた。「17時30分」が「18時」へ。前後の茨城行きも、仙台行きもそう。那覇行きは30分遅れ。予定では19時50分着だったのですが、20時40分着に。私は名護まで帰れなくなり、那覇泊まりを決意。ホテルに予約をいれました。そもそも最終便のバスだったので、やむを得ない。

 というお疲れ様の旅でした。おかげで4日にやるべきことが詰まっており、焦っています。帰宅は4日10時40分ぐらいでした。



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