きたる2022年5月15日、沖縄が日本国に復帰して50年を迎える。これは「おめでたいこと」なのか、それとも現実だから致し方ないのか、あるいはどう考えるべきなのか? 私なりのメモランダムを記しておきたい。
①大前提として
この「復帰」とはそもそも如何なるものか? ここから考えないと訳が分からない。今思えば、1971年当時の私の認識はこれを欠いていた。私は「沖縄返還協定」粉砕(派)だったが、そもそも如何なる経緯で、沖縄が分離されてきたのか、十分に承知していなかった。ベトナム戦争下であり、沖縄からベトナム攻撃を加えていることを看過できず、止めたいと考えていたのだ。
このまま沖縄が日本に返還されれば、安保体制がどうなるのか、大きな不安を抱きながらピンときていなかった。「核抜き本土並み」と言われていたが、逆に日本全体が沖縄並みになるのではないかと不安にかられていた。大問題だったのは、沖縄の現実と沖縄民衆の実態をどれだけ知ろうとしていたのか、余りにも自覚が足りていなかった。
この意味で、「沖縄奪還派」も「沖縄返還協定粉砕派」も50歩100歩だったように思うのだ。こんなレベルだったから当時の日本の左翼(私も含む)は、構造的差別を考える素地を有していなかった。
こんなレベルだから私は米国による沖縄占領と、象徴天皇制への改編、憲法9条=非武装の一体的な支配の問題に無自覚だった。私たちは、「復帰50年」を考える際に、こうなった構造を考え直さなければ、正しい結論に近づけまい。
②佐藤栄作首相が語ったこと
1965年8月、佐藤栄作首相は「沖縄の祖国復帰が実現しない限り、我が国にとって戦後は終わっていない」と演説している。かれが、沖縄の返還に道を開いたのであり、その限りではそうだったのだろう。しかし彼が語る戦後とは「大東亜戦争」の戦だったのではあるまいか。米国の戦争への道を掃き清めていったのだ。言葉は使い手によって多義的だから気をつけたい。
そもそも「沖縄の祖国復帰」で沖縄戦に決着がつけられたのか。この一点だけでもブーだろう。まだまだ沖縄では当時の遺骨が掘り出されていない。それどころか、そのまま新基地建設の土砂に埋め込む動きが止まっていないのが現状だ。
③沖縄返還協定の問題点
琉球諸島および大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国に関する協定は、1971年6月17日に調印された。しかし同第3条は安保条約に基づき軍事「使用を許す」。また同第4条で、米軍による負荷の「請求権を放棄する」とある。45年3月からの米軍の一切の無礼をちゃらにしたのだ。
本来、この時に地位協定を抜本的に変えることができるべきだった。ここで放置したことが、今に至っているのだ。軍事占領時代と余りかわらぬ対応によって。米国・米軍の横暴さを、ここでも追認してしまったのだ。日本国政府と、日本国民の無関心さがそうさせた。
1945年の沖縄戦・占領、1952年の「主権回復と沖縄等の分離・支配」、1971・2年の「返還」・「復帰」によって。
④安倍・菅・岸田の動き
日本の政権は、1996年から一貫して、「沖縄の負担軽減」を掲げ、「辺野古が唯一」とかたくなだ。何故だろう。「できることはすべてやる」と言いながらこの有様は変わらない。米国の沖縄占領の結果造られた普天間基地。77年間返ってこない。米国の占領・統治を汚すことを要求しないという義理・人情ではないか(巨大な利権を含む)。それを否定すれば、日本政府がすすめてきた沖縄差別を改めざるをえなくなるからでもあるだろう。
彼らも沖縄を「基地の島」にしておきたいのだ。2011年から始まった「島嶼部防衛」は、彼らの本音がくっきりと浮かんでくる。米軍がグアム島などに下がる隙を埋めていく米軍の先鋒として自衛隊=軍隊を与那国島、石垣島、宮古島、奄美大島等に配置している。
これらの部隊は、北海道から九州までの陸上自衛隊(即応機動連隊等)と連携し、海上自衛隊の空母とも連携していく。もちろん航空自衛隊とも。
米国のメンツを立てながら、「我が軍」の誉れを主張する。自滅への道に真っ先に沖縄を引き釣り込む。
⑤「復帰50年」をどう考えるか?
こうした悪い冗談を止められない「復帰50年」を私は祝いたくない。経済振興は沖縄の経済の自立に向かわなければ嘘だ。これは本来全国47都道府県共々だが、沖縄は他の46都道府県とは別の歴史を歩まされてきた。当時最大の権力をふるっていた天皇制を守るため、「時間稼ぎの戦争」にかり出され、殺され、殺し合わされた人々。軍事占領されてきた沖縄。まだまだ生死不明なまま弔われていない魂。こうした現実を無視した祝い事はありえない。
私は観光産業を否定しないが、これは流動的で、不正規雇用の温床となる。県民所得が最下位だと言われているが、このままでは打破できまい。経済振興を言うならば、平和と自然環境と沖縄文化を活かせるものへ転換すべきだ。基地は沖縄経済の阻害物と看破した翁長雄志元知事の指摘を忘れまい。活かしたい。けじめをつける「50年」にしたい。