ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け35年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

余りにもぺらぺらな、大軍拡だけが突出した岸田首相施政方針演説を読む

2023年01月30日 | 暮らしと政治

1月23日第211回国会が始まり、岸田首相が施政方針演説を行なった。彼が何を言っているのかを読み解いてみよう。

(1)「信頼と共感の政治」を自称する演説

 冒頭の「はじめに」で、「この国会の場において国民の前で正々堂々と議論し、実行に移して参ります」と語り、「信頼と共感の政治を本年も進めて参ります」と結んでいる。これはいったい、何のことだろうか。百歩譲って、そこを同意したとして、コロナ対策はどうだったのか、統一教会問題はどうだったのかを冒頭で明示すべきではないか。合理的な検査の積み重ねを回避し、医療と公衆衛生の基盤を破壊しながら「経済回復」に舵を切ったのではないか。このどこが信頼と共感を育めるのか。
 統一教会問題も自民党総裁として、責任ある調査を回避しながら、党としての責任をとらず、安倍晋三元首相を「国葬」にしたのは誰だ! 「信なくば立たず。信頼こそが政治の一番大切な基盤」だと言いながら、自らの言動を弁えない軽さ。こういう男が首相にあることの不幸を私は強く思うのだ。

(2)『歴史の転換点』とは大軍拡への道か

 「二 歴史の転換点」をドンと掲げている。「明治維新」と「77年後の大戦の終戦」そして「ウクライナ侵略」等を持ち出している。そもそも「大戦の終戦」とは何か? 大日本帝国が行なった「大戦」を誰も責任をとらず、明らかにせず、ただ終わったことにしている。 何も考えていないからこう言えるのだ。過去の無責任を問い直さないことが、今の無責任政治に連綿と繋がっているのだ。
 この国の加害・被害を問わず、今の日中関係、日朝関係、日ロ関係の前向きな解決はない。そもそも日本国の侵略と敗戦(の過程での沖縄戦)があったからこそ「沖縄・基地問題」は起きているのだ。
 要点を隠しながら「力を合わせ、共に新時代の国づくり、安定した国際秩序づくりを進めていこう」などという言葉がいったいどこからでてくるのか?! 国際関係、国内関係も過去からの積み重ねが、良くも悪くもあるからこそ、「安定した国際秩序づくり」は難しい。だからこそ政治家や外交官には深い洞察力が求められている。
 岸田首相はその鍵として「三 防衛力の抜本的強化」を掲げている。「外交には裏付けとなる防衛力が必要」だと主張している。外交=米日同盟しか念頭にない彼らは、血迷っている。こうして従来の平和国家の歩みを消し去り、武力による国家に転換して恥じないのだ。「国民の命を守り抜けるのか、現実的なシュミレーションを行なった」と豪語するならば、政府はその文書を堂々と開示すべきだ。「国民の命」のためならば、隠すいわれはあるまい。

 なお、この大軍拡―大量の攻撃兵器(相手の兵器が届かない遠方から攻撃できるスタンドオフミサイルや空母等)をもちながら、「日本の安全保障政策の大転換ですが、憲法、国際法の範囲内で行なうものであり、非核三原則や専守防衛の堅持、平和国家としての歩みをいささかも変えるものではない」とも言っている。図々しいにもほどがある。
 私は憲法論については改めて考えたいが、関連して少々述べる。非核三原則(核兵器をもたず、つくらず・もちこませず)とは米国の核抑止力に拠ってきたことを隠し立てる側面があり、米国の命令で造りだした再軍備(1950年)・「自衛隊」創設(1954年)以降、「専守防衛」などと称し、ごまかしてきたのだ。どれもこれも米国主導の動きから生じてきたものだ。それが今、もしも米中戦争になれば、世界(米国)の破滅になるから、米国は日本国が中国との正面にたち、押さえろよと言う時代に入っているのだ。この国は、米国政府に忖度し、益々米国の意に従う意向のようだ。
 岸田首相は小手先でごまかさず、被爆国として、核兵器禁止条約を批准し、核兵器の脅威を全廃させる努力を始めるべきだ。核兵器こそ、無差別大量殺人兵器であり、国際法違反にあたるはずだ。

(3)大軍拡の道は何をもたらすのか?

 国民の命を守る事が前提ならば、食料やエネルギーの自立(自給率の向上)が基本となる。医療や公衆衛生の整備もそうだ。なによりも持続可能な経済が必要だ。まして原発を改めて本格稼働させるなどと考えることじたいが、現実離れしている。「脱炭素」を名目に原発の再導入を図るなど、人間の命の営みを弄ぶものとなるだろう。
 希望的観測だけで、政治を語るな。まして軍事を。今が「歴史の転換点」だと言うならば、それは力と力の武力衝突を前提とする古い時代への回帰となりかねない。過去の過ちをないがしろにしてきたからこそ言えるのだろう。「五年間で43兆円の防衛予算を確保し、相手に攻撃を思いとどまらせるための反撃能力の保有、南西地域の防衛体制の抜本強化」などと、何を考えて言っているか。
 反撃すれば、再び反撃が返ってくる。まして、相手が中国となると、経済力も国土面積も人口も資源の保有量も格段にあちらが大きい。しばらく平時が続いたとしても、果てしない軍拡競争に陥り、日本の軍事力も財政力も破綻することは歴史が教えてくれるところだ。
 武力の強化こそ、持続可能性を奪うものはない。気候変動の解決とは、真逆なあり方となる。人の命を薄っぺらくし、人権のかけらも踏み潰す。
 「四 新しい資本主義」とすら整合性をとれるのか。「五 子ども・子育て政策」、「六 包摂的な経済社会づくり」とも矛盾するだろう。いつ戦争になるかもわからぬ社会の中で、誰が喜んで子どもを産み、育てられるのか。そこには強制(忍従)以外の手があるとは考えられない。そんな無茶をして如何なる新たな時代を造るつもりなのだろうか? 抜本的な再検討を私は求めたい。

(4)沖縄はどうなってもいいのか?

 「九 外交・安全保障」で沖縄に言及している。臆面もなく「わが国外交の基軸は、日米関係です。先日の日米共同声明に基づき、引き続き、日米同盟の抑止力・対処力を一層強化し、地域の平和と安定及び国際社会の繁栄に貢献していきます」とし、「日米同盟の強化と合せて、基地負担軽減策にも引き続き取り組みます。普天間飛行場の一日も早い全面返還をめざし、辺野古への移設工事を進めます。また強い沖縄経済をつくります」としているのだ。
 米国が中国と経済的派遣を武力によって争い緊張関係を高めながら「非核国」日本に武力による威嚇をとらせ、いざとなれば、突っ込めよという態勢のちぐはぐさ。日本国じたいがヤバイ位置に置かれている。ましてその最先端に琉球諸島を据えているのが、2010防衛計画大綱で始まった「島嶼防衛」政策だ。それが今完成間近に迫ってきたのだ。
 「島嶼奪還作戦」とは島々をモロに戦場にしていく作戦計画であり、シマンチュを動員し盾にしていくものだ。このままシマンチュは、平時から国・軍に監視され、必要とあれば動員されていくだろう。
 私は「辺野古が唯一の解決策」という硬直した考え方を断じて許容できない。実は普天間基地返還は辺野古への移設のみか、2800m滑走路を代替供与(那覇空港の共同使用)しろという約束まで履行しなければ返還されない。大浦湾側の軟弱地盤が表面化した中で、予定通りに計画は決して実現されまい。
 私たちは普天間基地も辺野古も使う(自衛隊の移駐を含め)という横暴を、容認できないのだ。まして琉球諸島を戦場にする可能性の高まりは、沖縄民衆の決断が求められている。戦争か平和か。中央政府への忍従か自治・自立・平和への道か。
 沖縄に生きる私たちは、この国の政治―国会審議に目を離すことなく、平和への準備を推し進めていくべきだろう。



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