ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

陸自第8師団長等を乗せ、伊良部島沖に墜落したヘリコプターの事故は、何故起きたのか?  ―坂本雄一第8師団長は、これほど性急に宮古島等に急いだのは、適切だったのか?(前編)  

2023年05月04日 | 米軍/自衛隊

 新聞に、防衛省幹部は「(宮古島は)日本防衛の最先端。重要と考えていたのだろう」と理解を示すと出ていた(2023年4月7日)。第8師団が第15旅団の領分に乗り込む作戦があることを、私は全く賛成できないが、知っている。この問題の奥は深い。
 ここでは、何故師団長になったばかりで宮古島等に行ったのかを探ってみたい。経過を示す。
 2023年3月30日、坂本雄一氏は「陸将補」から「陸将」に昇格した。同時に第12旅団(群馬県榛東村・相馬が原駐屯地)長から第8師団(北熊本)に異同となり、第8師団長に着任した(木曜日)。つまり4月4日の出発日まで30,31.1,2,3,4(スタート)である。5日間。5日間なら、さほど無理ともいえないのではないか。しかし1、2日は土日だ。着任した日を含めても準備に当たるのは31日と3日の3日間しかなかったのだ。
 そのうえ出かける先の松永浩二第15旅団長(陸将補)も同日着任。さらに西部方面隊長の山根寿一陸将も同日着任だ。さらに山根陸将の着任行事が4月3日にあった。この行事に坂本雄一第8師団長、松永浩二第15旅団長も出席していただろう。顔合わせにはなっただろうが、そんなワサワサした中で、実のある打ち合わせをできたのだろうか。
 ここで今回の出張に当たって決めるだろうことを列記しておこう。①誰と行くか、のメンバーの選択だ。これは師団長の判断で決めたかも知れないが、師団内部の会議にも諮っているだろう。視察目的とメンバーの役職が重なるはずだ。②出張手続き。③相手方との打ち合わせ。第15旅団、第15飛行隊との打ち合わせ(燃料の補給など)、④宮古島等での偵察飛行等について宮古島警備隊との打ち合わせ。⑤航空自衛隊第53警戒隊と、ヘリパッドの使用等打ち合わせ。
 自身の管内への出張ならば、上意下達でやることは、あるかもしれない。今回は管轄外だ。まして第15旅団長も着任したばかりで、事情に詳しくない。部下(実務者)に確かめなければ、有効な視察―「偵察飛行」を行なうことはできないだろう。メールひとつで、電話ひとつで決まるわけがない。人脈がゼロの時にスルスルと決まるのだろうか?
 坂本氏は、前任が第12旅団(ヘリを運用している機動旅団)長だから、ヘリコプターに乗ることはなれていただろう。偵察飛行もやってきただろう。しかしそこに落とし穴がなかっただろうか。坂本氏はヘリコプター畑を歩いてきたわけではない。ある意味半端な自信を持っていたかも知れない。
 熊本空港から那覇基地まで約1000kmの飛行だ。洋上を飛ぶ4時間の飛行。また那覇から宮古島まで300km、1時間半。彼は洋上を長距離飛んだことはあったのだろうか。洋上を飛ぶ事への留意点をおさえていたのだろうか。これは第8飛行隊の責任者にも問われる問題だ。防錆など1週間やそこいらの間と軽視していなかっただろうか。(続く) 



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