ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

まだしっかり晴れている(20210719)

2021年07月19日 | その日暮らし

 未だ(20210719 14:30)しっかり晴れています。名護市の西海岸ですが。ということで、今夕は素敵な残照がみられるかもしれません。昨日は買い物を優先したので、撮らなかった。今日は撮影できるかも知れません。実際の所どうなうなるか、やってみなければわかりませんが。乞うご期待。

 資料整理の第4段をやっていました。「暴力が連鎖する時代の中で」(2003年)の私の写真展の案内はがきが出てきました。広島県呉港で撮った海自の写真です。潜水艦からの見送りシーン。呉軍港からインド洋に出たのだと思います。日本が対テロ戦争に加担し始めたときのものです。この頃は、世田谷区の下北沢で写真展を2,3回やりました。まだ辺野古に通い出す前です。そんな昔があったんだと思わず考えてしまう自分がいました。沖縄の位置もまだ the part of them(日米安保体制)としか考えていなかった時代です。海外派兵に向かう時代でした。

 あれから遠くにきたものだ。あれよあれよというまに、「専守防衛」の建前が崩され、同盟国との軍事力を確立していきました。敵基地攻撃能力が叫ばれ、「島嶼防衛」から「台湾有事」があからさまに語られている昨今になってしまったのです。

 ハ・ハァーのんきだね。昔、この国は「神の国」を誇示していました。だから「聖戦」だと祭り上げて無茶な戦争につっこんだものの、やはり無茶で、侵略先でも国内でも、ひどいめにあわせながら、あいながら、この「神の国」は、米国にひざまずき、一体化し、米国の核戦力と共に行くんだというのです。反省を知らないいじめっ子は、遠い時を隔てても、いじめっ子・ガキ大将。そのことは今のコロナ禍でのオリンピック強行に遺憾なく現れています。

 ですから私の資料整理も資料整理に留まらず、あれやこれやのドタバタの中で進むしかない。総括を出せと迫っている以上、自分も総括をだすしかないようです。トホホですが、致し方ありません。

 夕日は泣いている、か?

 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。