ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き、琉球諸島を巡る基地・戦争への道を問いかけ、自然を語る。●無断転載、お断り。
 

いやはや疲れたからこそ、愛の時代へ舵を切ろう(20221129)

2022年11月29日 | 沖縄暮らし

 先週から原稿2本をやっとあげた。27日(日)午前にあげ、28日午前は、絵はがきのセットを作り、添付する資料を作った。なんとかかんとかうるま市で行われる『ミサイル配備から命を守る市民の会』発足集会に参加。約130名が結集。ひとまず、形ができて良かった。地域の中から、勝連分屯地にできようとしている対艦ミサイル部隊建設に反対する声をあげたことは、大きな一歩だろう。

 この国が限りなく軍事国家に邁進しようとする今、そこにストップを掛ける力を如何につくりだすのか、私も後方から注目している。いや、写真を撮るという意味では前方だが、本集会にはカメラなし。それにしても勝連半島にきた意味をきちんと考えなければならない。奄美大島・勝連・宮古島・石垣島と繋がる対艦ミサイル部隊。これは今後も新しい武器開発が進む中で、ミサイルがリニューアルされていくだろう。より速く、より遠くへという愚かな競争が進む。お互いにうちには届かない、目に見えないうちに届かせるとか、迎撃するとか。そこに電子戦もサイバー戦も絡むのだから、処置なしだ。

 ご都合主義の「勝者」が勝ちどきをあげるつもりだろうが、ことは単純にはいかない。撃つ側は、即後ろに逃げるとか、そもそも後から撃つと言うが、私たち住民は逃げようがない。逃げようがないのだ。この国の政権も防衛省もそんなことは百も承知で、負(虐殺)を押しつけてくる。

 しかし考えてみれば、戦争で白黒結着を付ける思考は単純バカのやることだ。強者=正義=暴力(軍事力)=正義という思考。奢る者に自重を求めても、無駄だろう。単純な戦争の時代を超えて、愛の時代へ。これしかないだろう。人間は科学技術の発達の中で、ますます奢り、武力に頼っている。愛は単にOne to  Person  に留まらない。実はぐっと複雑系なのだ。他の生物ならば、生きる・再生産に始まり、再生産に終わるのだが、人間はこのサイクルを壊してしまった。利益と破壊のために。単純な暴力をもって、突き進む。

 理性やら、知性が働かず、悪巧みしか働かなければ、人類は命運が尽きる。私たちは今、きわどいところに生きている。愛がなければ外交などできっこない。そんなめんどうくさいことよりも、やっつけろ。

 面倒からずに、なんとしても生き延びたいものだ。米国はどうせ嘉手納基地を放棄するならば、今から私たちは嘉手納を返せというべきだろう。いざというときに使わないならば、今からお返し願おう。基地が減っていれば、少しでも戦争になる確率は下がる。私たちは戦争を望まないと米日政府、中国政府に突きつけよう。市民外交こそを本流にしなければならない。「ミサイル配備から命を守る市民の会」の中からこの市民外交と基地撤去の声をつきつけていかなければらならない。私たちは丸腰だから、愛が必要なのだ。武力に頼らない信頼関係を。これはどんなに困難だとしても、この真理を貫けなければ、人類は終わる。

 しかし人を愛することは難しいな。やっぱり無理か。それでも、ここから考えたい。焦るな、着実に。  



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