ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

沖縄で語るための9章(20230324)

2023年03月24日 | ヤマヒデ企画

 先日、私は東京からの若者に語りました。直接話したことは、新基地建設を巡る1995年から今日に至る話しですが、改めて私が語り考える際の論点を以下の通りまとめました。これを機に考え学び直していきたいと思っています。

 ご参考までに転載します(無断転載・改竄を禁じます)。

沖縄で語るための9章(考えるための素材として)

山本英夫(名護市在住/フォトグラファー)
2023年3月24日改訂

【1:初めに(来歴) 自己紹介】

◎私の自己紹介リーフ参照(下記)

私のプロフィール、ショートメッセージ(20230313) - ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

①何年生まれ?(世代・時代が浮き上がる) 
生まれ・育ち(空間)はどこ?
  ②私の「希望は不戦と対話」
  註:団体の場合は、個人個人に聞けないので、どこから来たか、関心事は、おもな行程を聞いてきた。

【2:自分を問うこと、応答する自己をつくる】
  ①これ基本。一人称は、思い込みも生み出しかねない。自分の中で問い合う関係をつくること。問題をあやふやにしない。自身の探究心。
  他者との議論
  ②自信をつけていく。

【3:沖縄と関わってきて】◎自己紹介リーフ参照
  ①何故来たのですか?
   単純なことでも物事の原点を大切にし、深めていく。

【4:歴史と沖縄】
  ①あらゆる事象で、歴史を伴わないものはない。気づくための歴史認識(歴史は覚えるものじゃない)
  ②この国(日本国)と沖縄、その中に暮らしている私たち(私たちは、その狭間の中でどこにいる?)

【5:沖縄と国家】◎突っ込めばいくらでも論点あり。
  ①沖縄は47番目の県ではない(1972年5月15日)。日米の国家に翻弄されてきた沖縄・琉球
  ②沖縄差別と向き合う

【6:戦争と沖縄】
  ①「明治」期以後の植民地主義と戦争
  ②「皇国・皇土防衛」のための沖縄戦
   「大東亜戦争」崩壊の末路―琉球差別
  ③米国の占領支配からの攻防の中で(45年6月頃から72年5月14日)

【7:沖縄と日本国憲法、あるいは米日地位協定が上に立つ沖縄】
  ①「日本国憲法がある日本」(復帰)を希望した人々。
  ②戦後民主主義と自治
  ③日本国憲法が破壊されている今日
  ④米日地位協定(様々な密約を含む)下の沖縄・日本国

【8:これからの沖縄―沖縄を戦場にしないために】
  ①対中戦争の最前線は琉球諸島に据えられている。日本中に軍事ネットワークが繋がれている。
  ②沖縄の自律とあらゆる覇権主義に反対するー平和外交。
  ③「弱小」の島々で生きていくー弱小であるが故の利点を活かす。
  ④「南西諸島」(中央思考丸出し)という捉え方に異議を唱える。島々、シマジマから考える―
   「琉球弧」

【9:「人として生きる為」に沖縄を(で)考え、政治を変える】
 ◎2019年9月執筆資料を一部転載

【Ⅱ「人として生きること」が重要なのは何故か?】

 皆さんは、人間のことを信じることができますか? 私はそう信じたいけれども「人として生きる」ためには、考えておくべき事があると思うのです。ここで私たちが想起すべき事が大きく言って3つあります。

① 私たち人間は《生きもの》です。命を営みながら限りある生を生きており、また社会を作り集団で暮らしています。生きているからこそ私たちは、笑いもあり涙もあり、嬉しくもあるのです。私たちは決して機械ではありません。
② そして人間は特殊な生物です。他の動物のように本能で生きているわけではなく、生まれた後に獲得する経験・学習が良くも悪くも大きく物を言います。ヒトの知的能力の高さを振りかざして、「万物の霊長」などと自惚れる向きもありますが、《生きる》ための道を踏み外す欲望も大きくなっているのです。だから大変な矛盾・葛藤を抱えてしまうのも人間であるがためです。そのうえ人間の社会は、同じ種(ヒト)でありながら、了見が狭く自国・自民族を優越するナショナリズムがはびこりがちです。また、個人にも善意と悪意が同居し絡まり合っています。時に優越意識・差別意識が頭をもたげ、戦争ともなれば、人間の悪意がぐるぐると渦を巻き、露わになるのです。
③ 人間はめざましい経済力の発展を獲得してきましたが、これもクセモノです。巨大な科学技術を獲得したものの、これを「万全」だと思い込み十分にコントロールできていません。それでも科学者・専門家は「予見可能・コントロールできる」と信じ込むきらいがあるものです。

 こうした限界を抱えているからこそ、私たちは謙虚に生き、お互いを尊敬しあえる人類の、人と人がつながる心を育まなければなりません。これができなければ、強者・強国の「●●ファースト」が世界にのさばり、武力で勝つことを「正義」と主張し、挙げ句の果てに破滅への道を転げ落ちることでしょう。だから私たちは、「人として生きる」ことが常に問われているのです。

【Ⅲ 「人として生きる」ために戦争と向きあう】

 戦争は、今あなたの目の前に見えないかもしれません。しかし地球の裏側で準備されているかもしれません。あなたの足下に潜んでいるかもしれません。今も世界には争いの基(もと)がごまんとあり、「弱肉強食の世界」が広がっています。現に世界各地で今日も戦争は現在進行形です。
 今日の日本では、「韓国が全て悪い」という政府があります。例えばヘイトがはびこっています。例えば軍事機密が増えており、報道はスカスカになり、重要なことが隠されています。
 
 それでは戦争は何故恐ろしいのでしょうか? これは個人と個人の間で起こる単なる殺し合いに留まらないからです。法令は無視され、理性や道義は蹴っ飛ばされ、めっぽう残虐性が組織され、発現されてきたのです。例えば「殺しつくし焼き尽くし奪い尽くす」と言われた「三光作戦」、例えば731部隊のような人体実験、例えば性暴力を兵隊に煽動しながら戦争マシーンに駆り立てた日本軍慰安婦制度などなど。
こうした事例を見たら、「人間に良心・理性なんてほんとにあるの?」との根本的な疑問にとりつかれてしまうでしょう。しかし同じような過ちを繰り返さないためには、私たちは「戦争だったから致し方なかった」と考えてはなりません。
 私たちは、過去の歴史から学び考え直さなければなりません。私たちの気づきはとても鈍いのです。鈍くされているのです。例えば、1941年12月8日(前後に)、日本軍は真珠湾攻撃等を強行し戦争をエスカレートさせました。日本の巷では「ヤッタ!大日本帝国万歳!」の大騒ぎだったのです。当時の日本は中国への侵略戦争に行き詰まり、戦争を継続するために資源を求め、アジア・太平洋に戦域を拡大したのです。時の天皇・政権・軍部は結果を見えていただろうに、止められる人がいなかった。軍事経済という麻薬に溺れていきました。このため人々は、騙され、或いはすすんで無謀な戦争に駆り出されたのです。戦争反対の声を上げる口は完全に封じられていました。
あの当時、「兵隊は鴻毛の如し」(人の命は鳥の羽より軽い)と言われていました。戦死したら「●●の命(みこと)」と靖国神社・護国神社に勝手に神にまつりあげられていたのです。これが74年前の日本です。

 だからこそ私は、過去のことを無神経にやり過ごしたくありません。ひとつひとつの事実に、一人一人の体験に正面から向き合いたい。私たちが人として生きようと考えれば、過去と現在を紡ぎ、国家挙げての戦争と向き合う以外にありません。
どうしたらできるのでしょうか? 私たち自身が頭を使い、体を使い、心を研ぎ澄まして考えることが大切です。今こそ、自分って、何? 差別って、国家って、軍隊って、何だと問い続けていきましょう。

 

 



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