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ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き、琉球諸島を巡る基地・戦争への道を問いかけ、自然を語る。●無断転載、お断り。
 

ChooseTV「慰霊の日 忘れないオキナワ」を見ました(20200623)

2020年06月23日 | 歴史から学ぶこと
 20時から先ほどまで通しで拝見しました。司会:安田菜津紀さん(ジャーナリスト) 出演: 阿部岳さん(オキナワタイムス編集委員)、大城章乃さん(元県民投票実行委員)、せやろがいおじさん(芸人・ユーチューバー)、三上智恵さん(映画監督)、与那城千恵美さん(緑が丘保育園保護者・1207の会)、島洋子さん(琉球新報報道部長)の6名でした。ホットな映像も入り、分かりやすかったと思います。
 75年前の沖縄戦と今のオキナワ。ここを跨ぎながら論じ合ったのは良かったと思います。それぞれの個性・拘りもよく出ていたし。
 ただ私は「忘れないオキナワ」と題するのは如何なものかと思いました。ChooseTVは「日本」のメディア。発題者は沖縄で取り組まれている方々ですが、「忘れないオキナワ」というのであれば、「日本」サイドからの発言があると良かったです。
 私は「沖縄・琉球」と「日本」を区別して考える必要があると考えているからです。歴史的に考えるべきなのです。「明治(近代)日本」(「大日本帝国」が誕生する以前のこと)が1879年に琉球国を併合した事実を忘れてはいけないでしょう。皇民化教育を進め、琉球の諸言語を奪い取り、「南洋」に移民させ、沖縄戦の中で、「集団自決」までさせた歴史を忘れるわけにいきません。
 そして、沖縄戦を通して、大日本帝国は「皇国」(天皇制を冠にした国家)防衛のために「捨て石作戦」を強行し(その象徴が第32軍司令官牛島満中将らの「最後の一兵まで戦え!」と言い残し自決)、当時の沖縄住民の4分の1が殺されていった。
 挙げ句に、米軍は沖縄を占領下に置き、最終的に45年9月(連合軍と皇軍の降伏文書の取り交わしは9月2日、米軍と沖縄駐留皇軍との取り交わしは9月7日)大日本帝国を敗戦においこみました。飛ばしますが、1952年4月28日の日本の独立は、米軍が沖縄を軍事拠点化した45年から52年の占領から始まったのです。こうして米日安保条約が締結され、72年5月15日まで沖縄は米国の施政権下におかれた。そこから今の米日共同支配に苦悶させられているのが沖縄です。
 だから日本人である私たちが(ChooseTVも)、「忘れないオキナワ」という以上、沖縄戦があって、基地があるを越えた視点が問われます。ここを曖昧にしたくないないのです。「忘れない」という前に、何故忘れてきたのかを語らず、沖縄の論者にしゃべらせて終わりは、やめにしたいのです。
 もしも私たちが賢く生き直すことができるとすれば、ここまで詰めていかなければ不可能です。
 私自身も70年安保まで、オキナワのことを全く知りませんでした。さらに、1972年から1989年まで再び忘れ去っていました。これは一体何だったのか?! 痛恨の極みです。
 人は様々な取り組みの中で変わっていくのです。人は微力だが、無力じゃないのです。頑張って頑張っていきましょう。発言者の皆さん、お疲れ様でした。無論、司会を務められた安田菜津紀さんも、御苦労様でした。  


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