ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

レジュメ書き、一休み(20230602)

2023年06月02日 | 沖縄暮らし

2023年6月2日(金)雨

 台風は東に移動したはずだが、頭が痛い。気圧が下がると、直反応する身体。まだ風がビュービュー唸っています。網戸ががたついたので、布製のガムテープで固定した。夕方までに買い物に行ける程度に回復すればいい。

 ともかく、今週、ここのところれレジュメ作り。今2つめ。3つめが本チャンなので間に合うのか。同じ話をするわけにいかないので、相手(集団)によって、全く異なる。あぁ、そういうことかと納得していただく、あるいは、疑問を抱いていただく事が肝心。聞きました、分かりましたでは、おもしろくない。疑問を抱くことが何事にも手がかりとなる。

 私が沖縄に関わり始めて34年。色々あった。その中から、わずか1時間程度で、何を話せるか。起承転結もだが、何故という問いを抱くこと。抱いていただくことに留意したい。聴く側の問題意識がばらばらだと、すりあわせに苦労するが、同じでもつまらない。そもそも聴く側の問題意識を引き出しながら話すべきだ。

 私が基地ウォッチングを始めたのは96年の春頃からだ。沖縄に行くようになって、暫く中断していたが、この2年再開している。沖縄がらみで、あちこちに行った時間も長くなった。佐世保、種子島、稚内、岩国、関門海峡など。96年9月、空母インディペンデンスの追っかけで、小樽へ、「輸送艦」「おおすみ」の追っかけで相模湾、伊豆大島、室蘭まで行った。室蘭は陸自のイラク派兵だ(2004年2月)。98年、99年は、北方機動演習で北海道へ。別海演習場では風が強すぎて、頑丈な3脚でもピンボケ・オンパレ-ドだった。

 広島に行けば、岩国にも立ち寄り、長崎に行けば、佐世保によった。被爆地は昔も今も、軍事基地。90年8月5日の広島では右翼の大結集に驚かされた。この初めての広島を忘れない。広島は大本営があった場所だ。歴史を抜きに基地ウォッチングはできないのだ。

 こうした断面断面が安保そのものだが、十分にそう自覚していたのか、怪しいものだ。その一因に米軍と自衛隊、米国と日本国をどのように重ねて見るかがあり、上手くいったのかがある。日本ではこの2つを重ねなければ、軍事化の正しい見識をえられない。

 昔、私は山登りしていたのだが、北アルプスで会ったお兄さんは、自衛官だった。彼の言動で分かる。命令口調とかでない。日焼けしているのは、山だから区別できない。(憲法で認められておらず)「半人前」だと卑下していた。私はそういう自覚は大切だと思ったが(今では、大威張りなのだろうか)、山で気まずくなってもと思い、言わなかった。日和ったのだ。あれから40年余りの変化は、米国の子羊から米国の狼へ。

 沖縄には様々な争点がアリ、捻れも大きい。単純にはいかない。ひとまとめに考えたいが、それは安直すぎるし、間違える。コツコツ積み上げていくしかないようだ。



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