徳島・高知・愛媛と入る。6月28日は移動日だ。台風5号の影響を懸念して、わたしはまず松山を目指す。高知・中村・宿毛(すくも)・宇和島・松山。天気は曇りだが、昨日、腰痛が突然でた。天気が悪く腰痛では無理しない。四万十川遊びは取りやめた。列車での移動はともかく、バスはきもちがわるくなりがちで危険。宿毛から宇和島まで無事に行けるのか。
中村、宿毛で無事に下り、バスへ。わたしの懸念は何だったのか。2時間半のバス旅も平気だった。吐き気・めまいもなし。宇和島から松山までも無事到着。折角の四万十川遊びは不意になったが、予定通り、松山に着けば、次に繋がる。ほっとした。しかし乗ったママなので、一枚も撮れず。移動できたことに価値を認めればいいのだ。
ジュンク堂松山店を探し出し、お目当ての地形図を探した。しかしお目当ての場所が見当たらない。明日の予定も変更するしかない。昔、2晩、宿に寝てたことを思い出す。今はコロナ禍。熱があるとかになったら、たまったもんじゃない。どこで測っても37度代の熱はなし。それだけでオーケーでした。
話は変わるが、行った先々にお城がある。徳島城、高知城、宇和島城、松山城、丸亀城。領主の大小はあれ、武家に遣える民衆象を想起しなければなるまい。問題は明治の天皇制の導入ばかりか、中世・近世の支配構造が上意下達の心性をもたらしてきたのだろう。
こんなこと学校教育で習わなかったが、武士同士の下克上ばかりか、民衆の同調主義をもっと考えるべし。秀吉の刀狩りを含め、一揆の否定、自由民権運動の歴史観など、改めて検討すべし。
歴史を学ぶことは、人として生きる可能性を探ること。新しい社会を構想する芽を探ること。諦めている場合じゃないのだ。
お断りしておくが、こうしたことは乗り物の中で、漠然と考えた事ではない。歩きながら、或いはメモをとりながら、考えてきた。何よりもダメな日本人を超えたいものだ。私たちに問題意識がなければ、本を探し出すこともできないのだ。