ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

【拡散願います】呉軍港から音戸の瀬戸へ(20240920-②)

2024年09月28日 | 旅の記録

2024年9月20日(金)曇 ② 呉

私は潜水艦部隊前から、日新製鋼呉事業所跡から音戸(おんど)瀬戸まで歩いて見よう。約5km。

呉港を西へ。日新製鋼呉事業所跡を行く。

15:21 製鋼所跡の建物が偉容。老朽化が痛々しい。

15:21 

南へ。15:25 約30ヘクタールの跡地が軍事要塞にされようとしている今。防衛省が描く図面はまだ明らかにされていない。要警戒だし、反対の声が強まることを期待したい。

呉は第4護衛隊群(第4護衛隊)や第1潜水隊群が配備され、さらに掃海隊群が置かれている。ここに「おおすみ」以下3隻のドック型揚陸艦部隊がいる。へたをすれば、奴らが、陸上自衛隊水陸機動団などを載せて、琉球諸島のシマジマを襲ってくる計画だ。

私が呉や岩国にこだわるのは、こうした事情(沖縄と一直線)があるからだ。

南へ。初めて歩く道。

15:56 どういくのだ?

上が音戸へのバイパスらしい。

黄色い物は警固屋ドックのクレーンだった。

階段を登って、バイパスへ。

私の25000分の1の図面が古いので、バイパスや第2音戸大橋は載っていない。私は地形から判断する。

16:10 逆光だ! 真っ黒になるので+2の補正。石崎汽船の船だ。宇品ー呉ー松山行き。

警固屋ドック。奥は音戸瀬戸対岸。倉橋島北側。16:11

警固屋(けごや)とはー。私はてっきりアジア太平洋戦争の際に呉軍事基地防衛のために、陣地をおいたからと思ったが、平清盛に遡るらしい。平家の時代か。

バイパスから振り返ると、日新製鋼呉事業所跡が見える。16:15

奥は広島港。

おう、第2音戸(おんど)大橋だ。対岸は倉橋島。16:23

高い。倉橋島にほぼ渡りきった。右上に黄色のドックが見える警固屋。正面が日新製鋼。左のクレーンが呉のJMU。16:35

私はここを2023年10月4日、松山から呉に向けて船で抜けている。

16:36 橋を渡りきった所に展望所あり。日新製鋼跡地。

16:40 ここが全部軍事基地になるのか?!! 許せない。

16:41 これ横断歩道橋。奥が第2音戸大橋。

この歩道橋を渡ってみよう。

16:52 音戸大橋を潜る船。

16:52 シーパセオみたいだが、双胴船。なんだ? 

いずれにしてもラッキーだ。

16:53 

真下を行く。16:54

SEA SPICA(シー・スピカ)

この航路は瀬戸内観光船だ。時間があったら、乗ってみたい。余興も大事。

第2大橋の下を行く。16:54

今私が居るのは歩道上。

17:02 バックは日新製鋼。

帰ろう。

17:02

17:09 橋を渡りきり、呉方面を見る。

帰路はバスで戻ろう。

警固屋トンネルから日新製鋼跡地を見る。17:20

製鋼所も無骨で、軍事関連物を造っていたのだろうが、諸に軍事拠点が並ぼうとしているのだ。

ピカピカになればいいわけではない。製鋼所の周囲は約6,5km。30ヘクタール。

呉の宿へ。

 



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