ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

入船山記念館から呉教育隊散策(20240922)

2024年09月28日 | 旅の記録

2024年9月22日(日)曇 呉

この日、午後も集会があるときいたので、15時まで呉に残ることにした。天気は曇であり、再び、軍港を見てもと思い、暇つぶしにした。

 呉という街は軍港ができて成りたった街だ。1871年(明治4年)東京・大阪・仙台・熊本に4つの鎮台(陸軍)ができた。1873年に+名古屋と広島に鎮台ができ、6つの鎮台(地域司令部)ができたのだ。1886年海軍条例に基づき、5つの海軍区ができ、呉がその一つに指定された。呉鎮守府がこうしてできた。

 国内治安維持の軍隊から、海外膨張のための侵略軍になっていく。日本の近代化とは海外侵略を意図し、炭鉱と鉄鋼が国策として起こされ、軍事化によって始まっていく。呉もそうした歴史を歩んでいく。詳細については、幾つもの資料を読み込まなければならないが、現在のJMUのドックで(呉海軍工廠ー当時)で戦艦大和が造られたことは余りにも有名だ。「大和」は1941年就役。1945年3月沈没。

 難しい話はともかく、

入船山記念館に行ってみた。

9:32 旧高烏砲台弾薬庫の内部(移設) 石壁の厚さは50cmぐらいある、

突き当たりが呉鎮守府司令長官官舎

9:41 外側から見る。石造りの堅牢そうな建物だ。

歴史民俗資料館で「鎮守府と呉」をやっていたが、私が感心を抱くような特筆すべき資料は見当たらなかった。

呉市美術館 9:46 こちらでは「少女たちー夢と希望・そのはざまで」をやっているようだが、開館が10時からだった。見ずに帰った(気が変わった)。

9:48 入船山記念館のお庭。しっとりとした和風。

近くのレストランは11時開館。

海上自衛隊呉教育隊ゲート前。大砲と旗。今日は旗日か? (「秋分の日」だそうです)10:31

旗に近づいて

自衛隊前の「旗日」の「日の丸」を初めて撮った。 10:31

呉教育隊の銘板が光った。通りがかったバスの窓ガラスの反射光を浴びたため。ちょいと驚いた。

この日の通常の銘板はこうだった。10:32

前の写真はヤマヒデの瞬間芸、炸裂作品。

この付近に過去の軍事施設が多数残されている。懐かしむという姿勢では、戦争を呼び込むだけだ。

私たちは過去の戦争の歴史から何を学ぶべきなのか? 深く考えたい。そうしなければ、明日を生きることは難しくなっていくだろう。

 



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