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ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き、琉球諸島を巡る基地・戦争への道を問いかけ、自然を語る。●無断転載、お断り。
 

【補足】佐世保市の原爆写真展の後援拒否についてー敗戦後75年目の8月に(2)(20200804)

2020年08月04日 | 歴史から学ぶこと
 佐世保市・佐世保市教育委員会は今年も原爆写真展の後援を拒否したようだ。2017、2019・20年と毎回申請を拒否しているのだ(18年は申請せず)。これは私にはスルーしがたい問題だ。私は、佐世保市のことを看過できぬ街だと捉えている。長崎市との関係を考えればなおさらだ。さらに沖縄にとっても佐世保は戦略的な要衝となっているからなおさらだ。
 佐世保といえば、海軍の街だ。米国海軍の街としては横須賀(神奈川県)と並ぶ。前史も長い。海軍鎮守府(司令部)が佐世保に作られたのは1889年のこと。日清戦争(1894-95)以降の侵略拠点になってきた。また海軍工廠が置かれ、造船・修理機能に定評がある。そして日本の敗戦後は、米国海軍基地であり、海上自衛隊の部隊と共にある。佐世保の米国海軍は海兵隊を運ぶ揚陸艦の部隊が中心であり、沖縄とは切っても切れない関係にある。また、核問題でいえば核兵器をいつでも搭載可能な原子力潜水艦の頻繁な寄港地となっている。
 その上、陸上自衛隊の部隊も佐世保港の北に位置する相浦駐屯地などに、第2海兵隊と言える水陸機動団などを構えている。この意味でも沖縄との縁は濃厚だ。
 被爆地長崎と佐世保の縁は、どうだろうか。佐世保市から長崎市は大村湾を挟んで南に40キロ余りの距離だ。大村湾には長崎空港があり、佐世保の海上自衛隊のヘリコプター基地がある。長崎市は被爆地だが、一方で戦艦武蔵を製造した長崎重工などの軍事産業の街でもあり、今日でも戦闘艦や魚雷等を製造している。
 こう並べて考えれば、長崎と佐世保、どちらも被爆地になりえたのだ。これは過去の話ではない。現在・未来の話しでもあるのだ。
 
 佐世保市で原爆写真展を企画している原水爆禁止佐世保協議会などで結成している「ラブ&ピースの会」は、核兵器禁止条約の批准を日本政府に求めている。当然のことだろう。日本政府は2017年の国連での裁決に当たって、「棄権」どころか「反対」票を投じている。これでは被爆国の面影すらないと断じざるをえまい。「非核3原則」(もたない・つくらない・もちこませない)は何処の国の話しだったのか?
 こうしてみれば、基地の街の市民グループが核兵器禁止条約の制定に向けて、署名運動するのは至極当然なことだろう。
 それでは写真展の後援を阻んだ佐世保市長の意見を聞いてみよう。佐世保市長は朝長則男氏(1949年2月生まれ)。2007年から市長を務めている。佐世保市のHPを見たが、彼の主張・政策を分かりやすく述べている頁を見つけられなかった。そこでストレートに本件についての市長の見解を見てみよう。2019年8月の市長の回答から転載。
 
 「今回、当該写真展が後援には至らなかった理由は、該当の催し企画が写真展だけでなく、主催者が推進する特定の取り組みに対し、賛同を求める行為として『署名活動』が予定されていたことによります。人・団体にはさまざまな考え・主義・思想・活動があり、その特定の主張に対し『賛同者を募る』もしくは『反対者を募る』という活動に関しては、『いずれも法等に反しない限り妨げはしないものの、どれかひとつの考え方を求める活動に“後援”という応援支持をすることは適当でない』と判断したものです。」とある。
 一口に表現すれば、市は「中立」という立場に固執したのだろう。しかし原爆に賛成/反対に「中立」が成り立つのか? 市長は市政を預かる立場だから、後援しないというのは、市民の命をさげすんでいないか? 被爆者の命を足蹴にしていないか? 
 次の下りに市長の立場が明言されている。
 「佐世保市は、平成元年12月の『地球環境保全平和都市宣言』において、国に対しては国是たる『非核三原則』の厳守を、核保有国に対しては軍縮の推移と核兵器の究極的な廃絶を求めることを決意し、宣言しているところです。この時、私は、佐世保市議会議員として、1年近く徹底的に議論し、本会議で採択したという経験からも、当然、核兵器には究極的に反対であります。
 一方、日本国政府の基本的立場は、核兵器国と非核兵器国との間の協力により、現実的かつ実践的に行っていくことが不可欠であるというものであって、核兵器禁止条約はこの基本的立場に合致せず、核兵器国と非核兵器国の対立を一層助長し亀裂を深めるとの考えから、政府はこの条約に賛成しなかったものと認識しております」。
 彼は「核兵器に究極的に反対」だが、「核兵器禁止条約は、(中略)核兵器国と非核兵器国の対立を一層助長し亀裂を深めるとの立場から、政府はこの条約に賛成しなかったものと認識しております」と、究極論と現実論を真逆にしている。
 次のパラグラフを読む。
 「本市には、日米安全保障条約に基づく地位協定による国家的要請にて米海軍佐世保基地が存在しており、我が国のみならず、アジアと太平洋地域の平和と安全の維持並びに繁栄の基軸をなす重要な役割を果たしているとの認識を持っております。
 国防の一端を担っている基地のある街の長としては、国と同じスタンスで取り組んでおり、このたびの記者会見では、このことを踏まえてお伝えした次第です。いずれにしましても、平和を希求する想いは、言うまでもなく○○様のご意見と一致するところでございます。」と結ばれている。
 極めて明解ですね。前段には市民目線はないよと言い、後段では佐世保市は国と同じスタンス(米国による核安保体制に依存)で取り組んでおり、と米国が核攻撃を行えば、これを支持しますと明言しているに等しい姿勢だと言わざるをえまい。このどこに佐世保市民(自衛官や家族を含む)の命を守る立場があるのだろうか。あるまい! お国(日米両国)の言うとおりの保守市政ぶりが滲み出ている。
 
 私は最後に総論的批判を行いたい。朝長市長は核兵器とは何だと考えているのだろうか? 75年前に、佐世保から40kmの地で起きた現実。爆風と熱線と放射能で人体が深部まで犯されていく。死ぬまでつきまとわれる病。後生にまでつきまとわれる病。そして民間人を殺害してはならぬ、無差別殺人を認めないと定めた国際人道法に端から違反する兵器による一方的、大量の殺戮。
 だからこそ、2017年7月、国連総会で、「核兵器禁止条約」が122カ国の賛成で可決されたのだ。核兵器は必要悪ではなく、絶対悪だと定めた骨太な条約案だ。武力こそ正義だとする核大国の、核大国立候補国の野望を人道の立場から拒絶する条約案だ。  
 佐世保市が過去から学ぶことを拒否し、現実の核軍拡を是とすれば是とするほど、軍事力の行使の道に入り込んでいくだろう。それでは市民の命は救われない。地球上の生命は閉ざされていく。私たちは戦後75年目の今こそ、「核兵器禁止条約」の新たな発想から核兵器廃絶の道に踏み出したい。
 


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