戦後、日本は工業国へと変貌し、高度成長を成し遂げました。でもそれは数多くの公害も作りました。うれしいテレビ番組でした。
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■中学生のころ
YHは、東京都練馬区立上石神井中学を卒業しました。
その時の保健体育の女性教諭は、熊本県水俣市の出身でした。 先生から、こんな話を聞いた覚えがあります。
「水俣病は知ってるでしょう? でも水俣はC社の城下町みたいなものなので、最初は誰もC社を責める市民はいなかったんです」
当時、全国の工業地帯には、ひどい公害が蔓延し、重大な病気が数多く発生していました。
その一つが水俣病。
水俣の魚を食べ、そのお母さんから生まれた子供たちは、今でも苦しんでいます。
■海に潜れる!
先日、九州ローカル番組で水俣でダイビングショップを経営する方が紹介されていました。
水俣の海は今。
透明度抜群の海に変貌していました。
サンゴが生育し、ヒメタツという新種のタツノオトシゴも生育していたんです!
海底から湧き水が湧く様子も、みずみずしくてきれいでした。
水俣湾が、蘇ったのですね!
テレビを観ながら思わずニッコリしてしまいました。
いい番組でした。
ニッコリ
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昨年、水俣を旅行しました。
水俣病の歴史を展示する資料館へ行きました。
悲惨な歴史でしたが、それを乗り越える努力もあったんですね。
でも水俣湾はそんなにきれいになったんですね♪
時代が変わればそうやってきれいになっていくところと反対に良くなくなる所ってありますね。
でもきっと水俣は良い場所として評価されるようになってるでしょうね( ^^) _U~~
その家の下に海と船があって、そこのご家族も水俣病でした。
今はそんなきれいな海になってよかったです。
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限界を超えるとダメ。
産業排水や家庭排水は垂れ流し。
一時期どこの川もひどいことになってました。
よく盛り返しましたよ。
ぼくも6年前の夏に2泊ほど水俣にお世話になりました。行く前はどうしても水俣病のことが強い印象でしたが、当時から環境の先進都市になってきていましたよ。太刀魚がおいしかったのを覚えています!