「たたら浜」
ゴジラが出現したという伝説(?)の浜。
遠くに久里浜の東京電力の煙突が見えます。
「展望園地」
(旧南門砲台)
干潮時に前方50mにわたって露出する岩礁は、1923(大正12)年の関東大震災によって
海底浸蝕されたものが約1m隆起したもので、その後 年間7.5mmずつ沈下し続けているとか。
江戸末期 外国船が次々に来航するようになり、観音崎は江戸湾防備の要衝とされ
1812(文化9)年 幕府は会津藩に命じて観音崎台場を設けました。 明治時代には
観音崎の15ヶ所に近代的な砲台が築かれ、一般人の出入りも禁止されました。
ここ南門砲台もその1つですが、関東大震災で崩壊し その痕跡は残っていません。
「二十八サンチ榴弾砲(木製模型)」
地元ボランティアの人達の手で制作・管理されてきましたが、年月を経て
老朽化したため、来る3月14日(予定)を以って解体撤去されるようです。
次々と浦賀水道を通過するいろいろな船を眺めながら・・
1日見ていても飽きない眺めです☆
対岸の千葉・富津まで5.6km
展望園地の芝生でひと休みしたら、今回は灯台の方へは
回らずに、道路を挟んだ向かい側の「たたら浜園地」の
噴水広場を抜けて 山の方へ上って行ってみました。
歩きやすい石畳の道が続き、あちこちに道標も立っています。
海に向かった高台から、富士山が見えました☆
「戦没船員の碑」
第二次大戦や海難事故などで亡くなられた船員6万余人の慰霊碑です。
「 安らかに眠れ わが友よ 波静かなれ とこしえに 」と刻まれています。
天皇皇后両陛下が立ち寄られた折に詠まれた御歌の碑も。
1923(大正13)年に神戸高等商船学校の練習帆船として建造され、戦時には徴用船、
戦後は航海訓練所の練習汽船として歴史の荒波を乗り越え、引退後 神戸に保管された
のち、1996(平成8)年に 惜しまれつつ解体された『進徳丸』の錨が展示されています。
道端には、凝灰岩が堆積隆起した地層が見られたり
タコの足のような樹木の根があったり・・おもしろいナ
この先右へ行くと 砲台跡が残る「三軒家園地」や「横須賀美術館」の方へ
下りて行けますが、そのまま道なりに直進します。
児童遊具のある「うみの子とりで」を過ぎると、
広々とした芝生の「花の広場」
この時期は さすがに花は少ないけれど、ピクニックには最適でしょう☆
アメリカ人ファミリーの子供たちが 元気に走り回っていました。
東京湾を見下ろす「展望広場」
千葉・君津の工業地帯が見えます。
「森のロッジ」
各種の集会や自然観察の基点として利用されています。
ここのトイレ、ウッディでおしゃれ 且つとってもキレイ!
森のロッジを過ぎると、石畳の道から土の道に。
暫く歩くと、左側はフェンスに囲まれた「防衛大学校」の敷地。
フェンス内の坂を、訓練中なのでしょうね・・・重そうな装備を着けた
若者(男性も女性も)が、何人も駆けて行きます。 ガンバレ~
介護施設の建物横を下って行くと、R16に出てきました。
眼下に見えるのは「走水港」
遠くに横須賀市街や猿島、左手の山の向こうには富士山も。
車の往来が頻繁な海岸通りを 潮風に吹かれながら
ぶらりぶらりと 京急線「馬堀海岸」駅まで。
25,268歩
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