スニーカー履いて

‘猫’も歩けば・・・今日はどんな出会いが?

三浦・三戸友澄主従墓所

2024-11-30 | 横須賀・三浦


(前回の続き)


名残惜しいけれど 富士山と別れて・・




三戸(みと)の集落に 入って行きます

小路の突き当たりにある 塚山の足元に
小さな円柱と 標示板

円柱には「承久忠臣三戸友純主従墳墓招魂碑道 三戸公園」
標示板には「三戸友澄のお墓」と あります


標示板の矢印に従い 右側の民家横の 細~い坂を上り 
左手の石段を 上がって行くと 小さな平場に 立派な石碑

「三戸友純招魂碑」
    
石碑は 大正時代に建立されたもので 「三戸友澄招魂碑」の文字は
三浦氏の子孫に当たる子爵 三浦基次氏の筆  裏面には 承久の乱に
朝廷側で出陣 戦死した 友澄主従を 故郷に葬ったことが 記されて
いる と いうことですが ちょっと 判読は困難・・・ 

三戸十郎友澄は 鎌倉時代の武将 三浦義澄の10男で 居住地から「三戸」姓を
名乗った 三浦一族のひとり 1221(承久3)年の「承久の乱」で
後鳥羽上皇側について 出陣し 討死した と 伝わります


石碑の後ろの 樹下に
小ぶりの五輪塔や それとおぼしき 石が幾つか
どれが 誰方のものなのか・・

崩れたままに なっている状態から 今は 此処を
訪れる人は そう多く ないのでしょう
 
敗者たちの首級を 家人らが 故郷へ持ち帰って ひっそりと
葬ったのでしょうか 当時の 彼らの祈りは 長い時間の
流れのうちに 次第に埋もれてきたのかも しれません


そんな思いに かられながら 取り敢えず 合掌
合掌のイラスト(女性)



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