この前読んだ「乙一」の「GOTH・モリノヨル」に書いてあった
「人は、神を描く事も彫像にする事もできない
絵に描かれた瞬間に、それは神ではなくなり
彫像にされた瞬間に、それは偽物となる
だから絵に描かれるのは、神が人間に歩み寄った人物
キリストやマリアばかりで
キリストの父である神そのものが描かれていない」
実は、前に似た様な話を聞いたばかりだった
近所に「稲荷さん」と呼ばれてる場所があって
2月の最初の日曜日に、皆が集まって酒を飲む、というのがある
その時に「ボタモチ・アゲ・お金(千円)」を持って行く事になってる
毎年当番が順番に替わっていくんだけど
今年の当番が
「アゲはいいけど、ボタモチはたくさんあっても困る」
と言いだした
結局「ボタモチは、持って来た人がお供えして、そのまま持って帰る、又は持って行かない」
という事に決まった
その日になって、文句を言う人が現れた
「稲荷さんというのは、稲の神様だからボタモチをお供えするんだ
それをしないのはおかしい」と
それまで俺は「キツネがネズミを狩るから、田んぼを守る神様として、キツネが祭られてる」
と思ってたけど、違うんだな
キツネは、単なる「神様のパシリ」だったらしい
「人は、神を描く事も彫像にする事もできない
絵に描かれた瞬間に、それは神ではなくなり
彫像にされた瞬間に、それは偽物となる
だから絵に描かれるのは、神が人間に歩み寄った人物
キリストやマリアばかりで
キリストの父である神そのものが描かれていない」
実は、前に似た様な話を聞いたばかりだった
近所に「稲荷さん」と呼ばれてる場所があって
2月の最初の日曜日に、皆が集まって酒を飲む、というのがある
その時に「ボタモチ・アゲ・お金(千円)」を持って行く事になってる
毎年当番が順番に替わっていくんだけど
今年の当番が
「アゲはいいけど、ボタモチはたくさんあっても困る」
と言いだした
結局「ボタモチは、持って来た人がお供えして、そのまま持って帰る、又は持って行かない」
という事に決まった
その日になって、文句を言う人が現れた
「稲荷さんというのは、稲の神様だからボタモチをお供えするんだ
それをしないのはおかしい」と
それまで俺は「キツネがネズミを狩るから、田んぼを守る神様として、キツネが祭られてる」
と思ってたけど、違うんだな
キツネは、単なる「神様のパシリ」だったらしい