何故、ウサギが月に居るのか?
今は昔、天竺にウサギ・狐・サルの3匹がいた
3匹は、熱心に仏教の修行をし
自分の事を顧みずに、他の2匹を優先した
それを見て、帝釈天が弱々しい老人に姿を変えて、3匹の前に現れて言った
「わしは疲れ果てた老いぼれ、どうかわしを養ってはもらえないだろうか?」
3匹は、喜んでその申し出を受けた
サルは、木に登ってたくさんの木の実を採ってきた
狐は、魚を採ってきた
でも、ウサギは何も採る事ができない
それで、火を焚いてその中に飛び込んだ
「どうか、この私の身を焼いてお食べ下さい」
これは「自己犠牲」の素晴らしい話だ、というんだけど・・・
俺は、この話を好きになれなかった
どうやら同じ事を思った人が居る様で
「望月麻衣」の「わが家は祇園の拝み屋さん」という本の中で
「もし俺が帝釈天だとして、ウサギが食べ物を運んで来る能力にかけているなら
別に無理して、食糧を調達しようとしてもらわなくていい
もてなしたい気持ちがあるなら、歌ったり、踊ったり、色んな話を聞かせてくれればいい
{私を食べて下さい}言われても、正直嬉しくないし、美味しくなんて食べられない」
その通りだと思う
そして、気になったのは
「食べ物を集めてこれないウサギを見て
サルや狐や老人が、ウサギを辱めたり嘲り笑ったり励ましたりした」
と書いてあった
これはむしろ「追い詰められて、焼身自殺した」のでは?
という事は「虐め」だよなぁ
それはそうと、この本(作者)は面白い
今は昔、天竺にウサギ・狐・サルの3匹がいた
3匹は、熱心に仏教の修行をし
自分の事を顧みずに、他の2匹を優先した
それを見て、帝釈天が弱々しい老人に姿を変えて、3匹の前に現れて言った
「わしは疲れ果てた老いぼれ、どうかわしを養ってはもらえないだろうか?」
3匹は、喜んでその申し出を受けた
サルは、木に登ってたくさんの木の実を採ってきた
狐は、魚を採ってきた
でも、ウサギは何も採る事ができない
それで、火を焚いてその中に飛び込んだ
「どうか、この私の身を焼いてお食べ下さい」
これは「自己犠牲」の素晴らしい話だ、というんだけど・・・
俺は、この話を好きになれなかった
どうやら同じ事を思った人が居る様で
「望月麻衣」の「わが家は祇園の拝み屋さん」という本の中で
「もし俺が帝釈天だとして、ウサギが食べ物を運んで来る能力にかけているなら
別に無理して、食糧を調達しようとしてもらわなくていい
もてなしたい気持ちがあるなら、歌ったり、踊ったり、色んな話を聞かせてくれればいい
{私を食べて下さい}言われても、正直嬉しくないし、美味しくなんて食べられない」
その通りだと思う
そして、気になったのは
「食べ物を集めてこれないウサギを見て
サルや狐や老人が、ウサギを辱めたり嘲り笑ったり励ましたりした」
と書いてあった
これはむしろ「追い詰められて、焼身自殺した」のでは?
という事は「虐め」だよなぁ
それはそうと、この本(作者)は面白い