ゆうちゃんの独り言

モーツァルトが大好きで毎日欠かさず聴いています。人生の生き方は仏教で毎日般若心経を唱え、時間を見つけて寺巡です。 合掌

■ 小さな事をコツコツとひたすら真面目に生きること!!

2010-02-11 17:37:20 | Weblog

 人間には生まれついた宿命というか、自分の力ではどうしようもないことがあるものだと
この齢になって認識するようになってきました。若いころは、この世に生まれたものは真面
目に努力していればいつかは救われると思っていましたが、最近はそうでもないような気が
して来ています。

 いくら頑張っても出来ないものは出来ないし、反対に自分でも不思議なくらいに余り苦労
せずに出来てしまう事があります。これはいったい何なのだろうと考えますが、所詮、凡夫
の浅はかな考えでは到底結論が出るものではなく、最後はまぁいいかといった諦めに似た状
態で満足してしまいます。

 しかし、最近これでは人間としての成長が無いなぁと考えるようになり、どのようにした
ら少しでも人間として成長できるのかと、考えた時に浮かんだ結論が、今回の標題に現わし
た「小さな事をコツコツとひたすら真面目に生きること」なのです。

 人間は例えその進み方が遅々としていようとも、コツコツと取り組む行動の中にから、大
きな力が湧いてくるような気がしています。ただ頭の中で考えているだけの状態では、前に
進みません。

 自分の手や体を動かすことを通じてその小さな行動の結果が積み重なり、ある時その力が
自分を大きく動かすことに繋がると思うようになりました。その力は、自分自身の中にある
「仏性」ではないかと思っています。

 仏教では、人間でも動物でも植物でも道端の石ころにも仏性があると考えています。自分
では気づかないもう一人の自分の姿が仏性なのです。さらに、素直になればなるほどこの仏
性に近づく事が出来るのです。この辺の考え方が他の宗教にないものであり、自分としても
素直に仏教を受け入れられる大きな魅力だと思っています。

 生まれながらにして頭脳明晰で、若いうちから世間で脚光を浴びて活躍している方が多く
います。当初は羨ましくもあり出来ることなら自分も少しでも近づきたいと思った事があり
ましたが、凡夫には所詮無理なことが分かりました。

 それは決して負け惜しみでなく、個々の人間には個々に与えられた役割があることに気が
ついたからです。全ての人が先のように世の中で脚光を浴びる人間ばかりでは、世の中が成
り立ちません。同じ人間でありながら世の中には階級や職業がさまざまあって、それで社会
が上手く構成されているのだと思います。

 古くからあることわざで「箱根山 駕籠に乗る人 担ぐ人 そのまた草鞋を作る人」があ
りますが、正にこの考えで社会が成り立っているのです。この考え方から行くと、凡夫は草
鞋を作る人に当たると思います。

 ただここで忘れてはいけない事は、それぞれの立場での自信やプライドだと思います。こ
のような想いがなく、ただ何かを行っているのでは意味がないと思います。自分に合った仕
事があればそれは幸せだと思いますが、現在携わっている仕事が自分に合っていないのであ
れば、それは少し不幸かも知れません。

 しかし、昔から「石の上にも3年」というように、最低でも3年ほど同じ仕事を行うとそ
れなりに自信を持てるようになるのが普通です。この段階でも真面目にコツコツ行う事が重
要だと思います。

 これらの努力が必ず成果となって現われることを一度でも経験すると人間はより大きくな
り、さらに成長するための次のステップに進むのです。継続は力に繋がります。

 この不景気で先が読めない時代ですが、毎日小さな事をコツコツとひたすら真面目に生き
ることを通じて、人間的に成長し心豊かな人生を過ごす事が、釈迦が教える人間としての正
しい道ではないかと最近考えています。

「小さな事をコツコツと」は凡夫が好きな言葉です。 合掌