梅雨が明けたらカラッとするかと思えば、ところがどっこい日本の夏は湿気との戦いだもんなぁ。
さて、話はそれるが、私がアメリカ西海岸に初めて足を踏み入れたのは、荒瀬洋太とともに代表入りした1999年のジュニアサンタクララ遠征のとき。
サンフランシスコに到着後、数日間の調整練習を行い、サンタクララでのレース出場を終えてからロサンゼルス近郊のミッションビエホに移動し合宿、という4週間の遠征。メンバーの一人だった中西悠子チャンもスイマガの連載で紹介しているけど、この遠征は本当に楽しい遠征だった。
遠征に参加した大半の選手は、この遠征で何かをつかんでその後の活躍に生かしたんじゃないかなぁ(と自分は勝手に感じている・・・)。
このサンタクララ遠征代表入りに関して、私と洋太にはちょっとした裏話がある・・・。
私たちは、この年の8月にシドニーで行われた「パンパシ」の代表入りを前年からの目標に掲げ、誰にも負けないと言えるほどの練習を積んでいた。万全の準備を整えて臨んだ日本選手権では、楽々インターナショナル標準を突破。平野雅人選手に負けはしたものの満足できる二位。
パンパシ代表入りの難条件をクリアし、「ヨッシャーッ!」と盛り上がる私たちに届いた第一報は、「ジュニア遠征代表で♪」と優しくささやく当時の競泳委員長○木さんの声だった。
ジュニア遠征がどうこう言うのではなく、パンパシに行かせてもらえないことが本当に悔しかった。しかも、日本選手権を終えた日曜から数えて5日後の金曜に都内集合、翌土曜に成田出発という忙しいスケジュールもあって、当初からどうもこの遠征には気のりがしなかった。
そんな思いで参加した遠征だったが、行ってみれば楽しいことは多いし貴重な経験ばかりだし、生活は快適だし、何より選手、コーチともに、参加したメンバーがステキだったね。もちろん、この遠征に選ばれたことに誇りと感謝の気持ちを感じるまで、たいした時間はかからなかった。
洋太が出場を果たしたオリンピックシドニー大会はこの翌年のこと。今さらながら、日本水泳連盟の関係者の方々も含め、この遠征にかかわったみなさんには、感謝の気持ちでいっぱいだ。
「裏話」というほどのことでもないけど、まあ、こんな背景があったわけで・・・。
さて、それた話をもどして梅雨・・・。
梅雨のジメジメとジュニア遠征とは、直接なんにも関係はなさそうなんだけど・・・
遠征は6月中旬から7月中旬にかけての期間、まさに日本が梅雨の真っ最中の時期だった。
毎日毎日、それこそ抜けるような青空が広がる“楽園”西海岸。カラッと乾燥した気候だから汗をかいてもすぐ乾き、体も衣服も常にサラッとしている。そんなチョー快適な環境での生活を終え、成田空港に到着した飛行機から一歩外に出た瞬間のこと・・・・・・。
服を着たまま浴室にでも入ったかのような、ジメ~っとした湿気が体中にまとわりつく感覚・・・。
あのときのイヤぁ~な感覚は、今でも強烈に憶えている。
プロ野球で“助っ人”としてやってきた外国人選手が「梅雨の時期に体調を崩し調子を落とす」と聞く。「なにを弱虫みたいなことを言ってるんだ」と思っていたけど、「なるほどこういうことなのか」と妙に納得した瞬間でもあった。
1999年の遠征は、私にとって有益な経験をいくつもさせてくれたが、日本の梅雨がいかに不快なモノなのかを、身をもって感じさせてくれた遠征でもあった。
ちょっと話が長くなったなぁ・・・、、、・・・さあ、今夜もグイッと黒生を飲もう!
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懐かしいねぇ~
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