そう、このバッグが欲しいとずっと思いながら、
まだ入手できていない。
ずっと欲しかった。
何かと何かを買わず、えいやっ!とお金出せば、
買える、時なら買えたのだろうが、
それよりコッチにお金が必要、そんなことよりコレが先、
と現実に浸って優先順位が下がってしまうと、
無くても生きていけるモノ、になるわけで。
なんとなく神社でもお参りに行こうかな、なんて思う。
全くそーゆータイプじゃないくせに。
しっくりこないのだ、最近。
毎日の張り合いがない、っていうか、
この先ナニしたら自分を満足させられるのか?
自分の中で何を頼りに生きたらいいか、
心の柱が行方不明になってしまい、
どうしたもんか。
癌は再発してない事を確認したし、
子ども達2人の状況は極めて良好。
ストレスが消えたはずだけど・・
今の私は、
心配したり闘う対象のない、
「力の抜けた幸福タイム」に身を置いている。
なんて贅沢な地点に辿り着いたんだろう。
人生が凪いできた。
30年ぶりか?
30年ぶり・・日経平均が30年前に戻ったようなもん?
30年経って、30年前に戻ったって明らかに実質後退だ。
NYダウは13倍に成長したっていうのに。
私の容姿も可能性も30年前と同じなら良いが、
容姿は別人みたいに変貌をとげた。
学童の小2の女の子に、
「先生の夢は?」と聞かれて、
うーん、と首をかしげて考え込んだら、
「先生はもう年だから、夢はないね?」と笑われた。
はあ? 何才だって夢なくして生きれるものか。
「あるわよ!ブルネイの王子と結婚することよ。」
と自信たっぷりに答えてやった。
すると女の子は、不思議そうな顔して聞いた。
「ブルネイって何? 今から結婚するの?」
そうね、30年前に戻れたなら、
ブルネイを目指せば良かったな。
輝くものだけをストレートに追えば良かった。
話が逸れてる。
佐藤愛子は今100歳。
今更また、佐藤愛子のエッセイを読む理由は、
そんなに長生きして楽しいのかな?
何を目的に生きていこうとするのかな?
と、この頃よく思うから。
ご近所や身近な人達を見ていても、そう思う。
私、朝起きてコーヒー飲みながら、
なんかもう生きていなくてもいいような気がしてくる。
あ、ダメだ、ゆーちゃんを看取らないと。
この家も更地にしないと。
でも途中で癌が再発したら、も、仕方ない。
子ども達にゴメンネして後を託すしかない。
と、ふっと浮かんできたりする。
それが別にマイナス気分じゃなく、
ごくごく平らな精神状態でスーッと浮上してくる。
長い歳月かけて分厚い層になってた心配事から解き放たれたら、
エネルギーはもう切れちゃっていた、らしい。
まだこれから、
今度は自分の後始末をしなきゃいけないのに、
どうしたもんだろ。
今のこんな調子じゃとても無理だ。
サメや鯨は長生きで、
サメなんか500歳生きるのがいたりする。
深海の暗闇で何が面白くて生きていけるんだか。
佐藤愛子だって、何が面白いんだろ。
あんだけ書ければ、そして周囲にチヤホヤされれば、
生きてるのも悪くないのか。知らんけど。
にしても、
まだ私は学童なんかの契約更新してるし、
ゆーちゃんやこの家の件があるし、
癌がなかったんだから、
生きててコレが面白い、というのを掴まないとなあ。
齢○○にして、今更つくづく思うの。
ねえ、生きる、ってなんなの?