どの世代までが頑なにソレを敬うのか分からない。
敬うという言葉は適さないか。
叔父叔母、同い年の従兄弟、同級生達のほとんどは、
私がハンマーで壊して捨てたと知れば呆れかえる。
知ったこっちゃない。
どうせそのうち、その時が来る。
うちの台所は10畳かな?ハッキリ分からない。
換気扇のそばの、手の届く高さに神棚があった。
水神様と母が呼んでいた。
大晦日に御神酒を備え、母は手を合わせていた。
茶の間の天井と壁に括られた大きな神棚(箱型)と違い、
キットがあれば私にも作れそうな簡単な屋根付きの棚で、
そこに同じお札が何枚も重なって置いてあった。
年末が近づくと、
どこから来るのか何者なのかお札配りの人が現れ、
玄関に入って来て、「水神様です」と言うと、
母がはーい!と出て行き、「お札をもらい」神棚に置いた。
お札と言うけど、紙切れだ。
板の入った札ではない。
これが水神様なんだろか?神様っぽい絵が印刷された紙。
以前はホントにお札だったのかもしれない。
時代とともに紙になったのかも?
母が老人病院に入院し、私が移住した年末にも来た。
その頃は田舎の習慣に合わせて、玄関を施錠していなかった。
不機嫌そうな60くらいの女性が立っていて、
「水神様っ」とだけ言い、薄いB5の紙切れを差し出した。
「あぁ、はい、どうも。」と受け取ると、
ま〜粗末な印刷だ。
台所の神棚にあるのと全く同じデザインの水神様。
トレーシングペーパーの粗悪品みたいな紙に黒インクが滲んでる。
「300円!」とぶっきらぼうに女性が言う。
「あ、300円なんだ?」
そうか、商売として年末に配り歩くのか。
こんなの私だってネットで画像を見つければコピーできるわ。
1秒の何分の1かで、私はそう思った。
「じゃあ、要りません。」
私の口が反射的にそう返事して紙を返した。
配布のオバサンは、ツンと体をひるがえして出て行った。
押し売りにしたってあんまりだ。
あの態度でお金儲けできる商売ってあるんだな。
今の時代でも皆ありがたがって「もらう」んだろか。
は〜 バカみたい。
それ以来、うちに水神様配布係は来なくなった。
いや、私が玄関を施錠するようになったからか、
それとも、水神様のお札商売が成り立たなくなったか。
長々と書いた。
何を言いたいかって。
先日、私は、この台所にあった神棚を撤去した。
金槌の反対側が釘抜きになっているハンマーで、
ガッツンガッツンバリバリ!!と叩き割って柱から剥がした。
古い紙切れお札が何枚も縦に入っていた。
私には長年、違和感と不思議さを抱かせた物。
黄色いゴミ袋に入れる時に、なんとなく1秒間の合掌。
月曜日にゴミ収集車が持って行った。
柱の、ソレがあった場所には、
柱の上から板が張り付けてあった。
神棚は後から何年かして付けたんだろう。
その板は大工の叔父の仕事だ。私には剥がせない。
ソコだけ、色が他の場所と違う。
神棚は無くなったのに、目を向けると、いまだに残像が映る。
ごく小さな、ひとつの片付け。
でも、母が姿が浮かぶ、強烈なこの家のポイント。
私が手をかけて廃棄しなきゃ、いつかは丸ごと重機だ。
コツコツやっていかなきゃ。
敬うという言葉は適さないか。
叔父叔母、同い年の従兄弟、同級生達のほとんどは、
私がハンマーで壊して捨てたと知れば呆れかえる。
知ったこっちゃない。
どうせそのうち、その時が来る。
うちの台所は10畳かな?ハッキリ分からない。
換気扇のそばの、手の届く高さに神棚があった。
水神様と母が呼んでいた。
大晦日に御神酒を備え、母は手を合わせていた。
茶の間の天井と壁に括られた大きな神棚(箱型)と違い、
キットがあれば私にも作れそうな簡単な屋根付きの棚で、
そこに同じお札が何枚も重なって置いてあった。
年末が近づくと、
どこから来るのか何者なのかお札配りの人が現れ、
玄関に入って来て、「水神様です」と言うと、
母がはーい!と出て行き、「お札をもらい」神棚に置いた。
お札と言うけど、紙切れだ。
板の入った札ではない。
これが水神様なんだろか?神様っぽい絵が印刷された紙。
以前はホントにお札だったのかもしれない。
時代とともに紙になったのかも?
母が老人病院に入院し、私が移住した年末にも来た。
その頃は田舎の習慣に合わせて、玄関を施錠していなかった。
不機嫌そうな60くらいの女性が立っていて、
「水神様っ」とだけ言い、薄いB5の紙切れを差し出した。
「あぁ、はい、どうも。」と受け取ると、
ま〜粗末な印刷だ。
台所の神棚にあるのと全く同じデザインの水神様。
トレーシングペーパーの粗悪品みたいな紙に黒インクが滲んでる。
「300円!」とぶっきらぼうに女性が言う。
「あ、300円なんだ?」
そうか、商売として年末に配り歩くのか。
こんなの私だってネットで画像を見つければコピーできるわ。
1秒の何分の1かで、私はそう思った。
「じゃあ、要りません。」
私の口が反射的にそう返事して紙を返した。
配布のオバサンは、ツンと体をひるがえして出て行った。
押し売りにしたってあんまりだ。
あの態度でお金儲けできる商売ってあるんだな。
今の時代でも皆ありがたがって「もらう」んだろか。
は〜 バカみたい。
それ以来、うちに水神様配布係は来なくなった。
いや、私が玄関を施錠するようになったからか、
それとも、水神様のお札商売が成り立たなくなったか。
長々と書いた。
何を言いたいかって。
先日、私は、この台所にあった神棚を撤去した。
金槌の反対側が釘抜きになっているハンマーで、
ガッツンガッツンバリバリ!!と叩き割って柱から剥がした。
古い紙切れお札が何枚も縦に入っていた。
私には長年、違和感と不思議さを抱かせた物。
黄色いゴミ袋に入れる時に、なんとなく1秒間の合掌。
月曜日にゴミ収集車が持って行った。
柱の、ソレがあった場所には、
柱の上から板が張り付けてあった。
神棚は後から何年かして付けたんだろう。
その板は大工の叔父の仕事だ。私には剥がせない。
ソコだけ、色が他の場所と違う。
神棚は無くなったのに、目を向けると、いまだに残像が映る。
ごく小さな、ひとつの片付け。
でも、母が姿が浮かぶ、強烈なこの家のポイント。
私が手をかけて廃棄しなきゃ、いつかは丸ごと重機だ。
コツコツやっていかなきゃ。
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