from タビーランド

タビーランドの住人【ティンキーウィンキー♂・ディプシー♀・ラーラ♂(26才自閉症)・ポー♂(19才)】のくらし

あの年の、住まい

2010-01-17 | ディプシー(日記)
1月17日、なんですね今日は
日曜日ということもあって
15年ということもあって
今年の17日は、少し違う?

まだ、直視できないところがある
でも、そろそろちゃんと向き合わないと
忘れてしまって、なくなってしまう気がする

5枚の写真は
大学の卒業制作に使ったもの
ボードから剥がしたものの
どうしたものか…
保管するでもなく、処分するでもなく
箱に入ってた写真
写真好きのラーラが引っ張り出してきて
「これはあかんねん」って取り上げたまま
手元に置いてあった写真

避難所の風景
私たち家族が、15年前に寝起きしていた場所

震災後、数日は路上で寝ずの番をしていた両親
その後、自宅近くの区役所の庁舎に避難
7階建ての新庁舎の、最上階
停電で、エレベーターもトイレも使えず
一日に階段を何回も上り下り
飲み水を持ってあがるのも大変
炊き出しの度に、トイレの度に、下りなくてはいけない
それでも、1階のロビーの混雑ぶりから比べれば
すいぶんとゆったりできる空間ではあった

ひと月ほどして、庁舎を再開させるにあたって
そこを避難所としていた人に、引越しの要請が出た
移動先は、旧庁舎
使用されてなかったその建物に、通電し水道も開栓して準備がされた
ある程度落ち着いてからの集団での移動だったので
場所取りも話し合いが持たれ
住んでいた地域別に分けたり
少し自治会的な要素のある避難所となった

私たち家族を含めた5家族は元区長室に
おそらく避難所の中ではVIP待遇な空間(?)
天井が高くて壁が遠い大空間(体育館とか)って
何日も寝起きするには向いてない
その点、ここはまともな部屋だった
窓もあるし、断熱材で間仕切りも作れた

そのうちに、長崎・諫早市からの救援物資「畳」も配給された
うちの区画は右下の写真の青いクロッキー帳が写ってるところ
あの「ちゃぶ台」も救援物資で、みんなお揃い

日に日に何かが届いて、日に日に物が増えてった
変な感覚になったのを覚えている
何もかもを失った人もいたけど
与えられすぎて、感覚が麻痺していく怖さを感じる自分が、あの時いた

コメント
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