浅野ゆうじの独り言

社会・政治に関連する本の感想や日々の出来事についての私なりの考え方を書いています。

岐阜市議員定数問題

2010-09-22 08:49:17 | 国際・政治

9月議会中のため、なかなかブログを書く余裕がなく、久々の記事となります。

昨日、今議会に提出されている議員定数の削減を求める請願提出者による参考人招致が行われ、提出者の意見陳述および学識経験者の意見交換の場として議会運営委員会が開催されました。

請願の審査のための一見聴取ということでしたが、請願の可否のための質疑応答ではありますが、議会では、岐阜市議会改革検討協議会が、議員全委員参加のもと設立されていますので、その際の参考意見の意味合いもあると思います。

請願提出者の発言は、厳しい財政状況と「汗をかいていない議員がいる」から削減するといった市民感情による主張が多く、削減の数的根拠は示されませんでした。

有識者からは、定数削減は、間接民主主義をとっていることから、削減は少数意見の排除につながる、また、役割を果たしていない議員がいるとすれば、選挙の洗礼を受ければよいとして、議員定数削減の論拠にはならない、という意見でした。

こうした質疑を通して最も感じるのは、議会とは何であるか、議員とはどういう役割を果たすのか、議会改革とは何かなどのコンセンサスが、議員間、議員と市民間に図れていないことを感じます。

時代の変化とともに、議員というものに対する定義が大きく変わろうとしている中、議員の役割への要求が古いままで止まっているような気がしてなりません。

自治会の連合会長がこれだけ汗をかいているのに議員は何もしていないではないかというまさに一部の市民感情に訴えることで議会を変えようとするならば、それも一つの市民の判断でしょう。しかし、そもそも自治会長と議員の役割が同じと考えるならば、どちらかがいらないということです。それぞれの役割があって市政が成り立っているここが大切なのです。

一方、少数意見の排除となる基準はどうかということです。財政が許せば多いほうがよいといえども、その数にはおのずと限界があるでしょうし、多ければよいというものではなく十分な議論ができる一定の人数でなければならないことは言うまでもありません。

地方分権が進み権限や財源が中央から移譲されることになったとき、地方議会の役割はますます重要なものとなります。二元代表の一方の首長の執行権を審議できる代表者は議会しかいないのです。そうした意味で、議論をしっかりと進め、岐阜市ならではの議会改革が進めば良いと思っています。また、議員という権威にもたれることなく、市民の皆さんに活動を理解していただく努力をしなければならない時代です。

以上