浅野ゆうじの独り言

社会・政治に関連する本の感想や日々の出来事についての私なりの考え方を書いています。

「社会を変える」(駒崎弘樹:ちくま文庫)を読んで

2013-01-14 10:12:20 | 日記・エッセイ・コラム
 今日の成人の日を迎えるにあたって、知己の「新成人を祝い励ます会」で、毎年、いまのパナソニック、松下電器の創業者である松下幸之助氏の言葉を紹介しています。その言葉は『打つ手は無限』というものです。いわゆる私の座右の銘というものですが、若い人たちにあきらめず胸腺してほしい、岐路に立ち新たな選択を決断する時、また壁にぶち当たった時にもう一度力を尽くしてほしいというときの贈る言葉になっています。

 そうした意味合いを含め、標記の本を読むとき、多くのことを考えさせられます。

 抜粋して文章を紹介すると以下のようになります。

 ● 『僕達は、自分の区や市や県の行政がどのように運営されているのか、ほとんど何も知らない。興味がないからだ。・・・・・別に、自分の住んでいる地域がどうであろうと、どうだっていい、と思っている。そういう面倒くさいことは、議員や何かに任せておけばいい、と。
それでいて、地域で選出されて議員の顔は全く覚えていない。・・・・・そんな議員や行政に対して、市民は「なんとなく信頼できない」と感じてはいるけれど、別にアクションをとるわけでもない。
 そうして、行政が腐っていくことを、僕たちは知らないでいる。・・・・・いや、知っていても特に何もすることはないだろう。自分の日々の生活に関係ないからだ。
・・・・・・(実際に行政に係わったときに不満を感じることがあるだろう)
そうして僕たちは、ぶつぶつと、誰にともなくひとりごとを言うのだろう。「政府が悪いんだ」「行政は無能だ」「政治家が悪いことばかりしているんだ」と。今まで全く興味を持たず、何のアクションもとっていなかった僕たちは、そういうときになって初めて事実を認識し、誰にも届かない呪いのことばを吐き続けるのだろう。
敵は、今まさに日本がかかっている「無関心のくせに依存する」病気。日本人の精神性そのものではないだろうか。市民は自治体に依存し、自治体は国からの補助金に依存し、国はアメリカに依存する。そんな依存という精神の病。』
 ● 『国家はなぜ多様な言論を保証するのか。一つの意見しか持たない社会では、時代の変化についていけず、結局社会は破綻する。「全体を救うイノベーションは、常に多様性から生まれる。」』
 ● 『僕たち一人一人が社会企業家となって、そうしたソーシャルベンチャーを立ち上げ、育て、羽ばたかせていかなくてはならない。あるいはプロボラ(専門家によるボランティア)のように自らの専門性を活かして、ソーシャルベンチャーに欠けている技術を補い、ブレークスルーを起こすことだってできる。政治家や官僚だけが世の中を変えるのではないのだ。「気づいた個人」が事業を立ち上げ、社会問題を解決できる時代になっているのだ。』

 挑戦していく情熱、マックス・ウェーバーの言う情熱はまさにこのようなことであり、政治に携わる者に求められるものではないでしょうか。

以上