浅野ゆうじの独り言

社会・政治に関連する本の感想や日々の出来事についての私なりの考え方を書いています。

情報開示と情報リテラシー

2013-01-31 11:16:21 | 日記・エッセイ・コラム
 地方自治法の改正に伴って地方議員の政務調査費が政務活動費に名前を変え、経費と認められる範囲も少し拡大しようとしています。それに伴い、情報開示をさらに進めようとする動きになっています。

 情報開示を進めていくことには問題はないと思います。私たち一人一人が意見をぶつけ議論していくうえでは、個人攻撃や組織の秩序の崩壊とならないことを前提に、是非を判断する、また物事を決定していくための十分な情報が求められます。

 情報の非対称性も問題になりますが、情報リテラシーも大きな問題となります。情報を判断していく能力の重要性は言うまでもないことです。一方で、一つの情報に対していろんな解釈ができるとすれば、その解釈の是非は、その情報自体のとともに情報の量も必要になってきます。つまり中途半端な情報では、是非の判断が大きくちがってしまう可能性があるからです。反面、情報開示が際限なく行われるとすれば、どこまですべきかという情報開示の線引きが極めて難しい問題となります。

 リテラシーが十分に行われていない、一面だけしかとらわれていない情報が独り歩きし、問題を発生させる可能性があります。特に、SNSが発達した社会では、一つの発言が多くの誤解を呼び、取り返しのつかない事態となってしまう可能性が高いからです。例えば、無責任な発言や、ひと時の感情的な発言で、影響力の大きさから個人の社会的制裁までに発展してしまう恐れがあります。

 情報開示の線引きの問題と情報リテラシーという各個人が持つ能力の問題を考えさせられることが多いようなj気がします。情報開示されなければ単に組織の問題だと批判されたり、発言の重要性を自覚しない、庶民の意見として自由に発言すればいいんだという風潮が気になって仕方がありません。秩序や良識、社会組織の崩壊は避けなければならないと言えば、保守的すぎるでしょうか。

以上