浅野ゆうじの独り言

社会・政治に関連する本の感想や日々の出来事についての私なりの考え方を書いています。

「議会の不倒」

2013-01-23 11:24:44 | 国際・政治
 表題の「議会の不倒」という言葉は、西部邁先生の「保守思想のための39章」の本の第27章にあります。また、この章の副題に「代議制が民衆政治の防腐剤」とあるように、保守思想は議会制民主主義が望まれる政治制度であるとしています。

 私自身、このブログでたびたび述べてきているように、議会制民主主義があたかも機能不全していると思われる場合には異論を唱えてきた一人であり、議会制民主主義がどうあるべきかという思いで意見を言ってきたつもりです。この本に貫かれている伝統や慣習を頭から否定するような進歩主義や革新主義には違和感を覚え、保守思想を持つ一人であると思っています。

 本で述べられているように、保守思想にたいして誤解があったり、体系化されていない思想であったりするために何が保守であるかということは決してコンセンサスを得たものではないかと思います。しかし、この本によって、自分自身の考え方、それは自分が育ってきた環境や教育、また知識の習得の過程において身につけてきたものと合致していると思想であるいうことが実感です。歴史認識からくる包括性、平衡性、許容性などにおいて的を得たという感じがしてなりません。

 表題から話がそれてしまいましたが、この27章を一つとっても、社会常識的な考えに貫かれる保守思想を伺うことができます。文中にもあるように、文庫版を出すにあたって、「座右の本」とするというエピソードが紹介されていますが、もう少し読み込めば私自身もその予感がしないでもありません。中公文庫から昨年末に出たばかりです。是非、読んではいかがでしょうか。

以上



障害者就労支援のための事業所説明会

2013-01-22 16:24:56 | 日記・エッセイ・コラム
 昨日、岐阜市で新たな試みとして、特別支援学校(市立、県立の5校)に通う高等部1年生を対象に、就労支援事業所18社の事業説明会が開催されました。目的は将来の就労を身近に感じ、興味を持ってもらうために、実習に入る前の生徒に対して行われました。

 前々から、障害者の就労支援については議会質問などで、現況の厳しさに対する支援を要望していたところですが、生徒と保護者の不安と事業者の活動のミスマッチが少なくとも解消されるだろうことが期待されます。興味が湧けば、実習の際にも目的ができ、就労にもつながることになります。事業者は、社会福祉法人、NPO,株式会社、社団法人などで、こうした就労支援のさらなる活動につなげていただけることが期待されます。

 障害者の就労という面では、まだまだ課題が数多くあると思いますが、こうした地道なイベントが、少しでも障害者の皆さんの自立・就労につながることを願うばかりです。

以上


大阪桜宮高校の問題について

2013-01-22 09:47:34 | 国際・政治
 表題は大阪桜宮高校の問題としていますが、議会人の一人としてこうした問題からくる騒動の制度に感じるところを述べたいと思います。

 マスコミの報道を見て、橋本市長や教育委員会、また生徒たちの思いなどは伝わってきますが、その時議会としてはどのような判断をしているだろうかということです。おそらく、大阪市議会でも、会派なり委員会でこの問題について議論は行われていると思われますが、単なる要望のような形に終わらず、一定の判断を下すべきではないでしょうか。私自身がそうした報道を見逃しているからかもしれませんが。

 前からこのブログでも申し上げているように、首長と議会の役割において、執行権のある首長に対し、ブレーキをかけるのは議会しかないからです。問題に対しどのような議論が行われたかが大切なのです。市民の意見を代弁する議会の役割を決して軽視してはなりませんし、市長に対し翼賛的な考えではないことを示すためにもそうした議会内での議論による決議が行われるべきです。仮にいくらマスコミが問題視したとしても、法的に、賛意であれ否認であれ、最終的な執行を承認するのは議会しかないのです。

 大阪市議会の皆さんは当然そのような動きをされていると思いますが、あまりにもこのような制度としての議会制民主主義を前提とした報道がないために、どうなっているのだろうという思いで書いております。関係者の皆さんに失礼があればお許しください。

 また、こうした問題は一高校だけの問題ではないでしょうし、スポーツ教育全般にも、さらに教育そのものに係わってくる問題でありますので、単に入試を中止し切り替えるというような対応のみで解決とならないことは多くの人が感じていることと思います。暴力は決してあってはならず、体罰を容認するような勝利至上主義であってはなりませんが、勝利を目標とするスポーツが人を鍛え成長させる一面も見逃してはなりません。教育は人であることを考えると、制度そのものより、教育方法のスキルアップが求められるのかもしれません。

以上


 


地方分権は進むのか

2013-01-18 09:16:28 | 国際・政治
 先の地方公務員引き下げ議論の背景を考えてみると、話は飛ぶが基本的な地方分権を中央政治がどう考えているのか疑問に思います。

 地方公務委員の給与引き下げは、地方交付税の算定にあたって、削減の根拠として出てきているものですが、それが果たして同列に考えるべきものなのか疑問に思うわけです。確かに地方交付税の算定では財政需要基準の中に入っているわけですから、地方公務員の人件費を抑えれば国として交付税の総額を下げることができるわけです。しかし、こうした単純計算的な考え方は、背景に財源や権限を進めていくという地方分権の考え方が背景にまったくないということです。

 地方分権の基本理念は、多様化する社会にあって、活性化や街づくりの地方独自の政策を進めていくために、決定権を持つ法律(条例)の制定権と財源となる交付金や補助金の柔軟性を持たせることであって、中央の財政規律のためだけ(いうなれば交付金や補助金を削減する)のためにあるわけではないのです。もちろんその実行にあたっては、地方の自立性やユニバーサルサービスの担保という問題もしっかりと議論されなければなりません。

 そうした地方分権を進めていくという意識が底流にないと、限られた財源の中で、中央と地方の関係は変わっていかないでしょうし、閉塞感の地方を変えることはできないでしょう。

以上



地方公務員給与引き下げ議論

2013-01-16 09:24:53 | 社会・経済
 今日のニュースで地方公務員の給与引き下げについてが取り上げられていました。

 単純に、国家公務員の引き下げを行ったから相対的に地方公務委員の給与は高くなった、民間の給与に比較して公務員給与は高いという議論は、ルサンチマン的な議論に終始し、根本的な人件費という窮余のあり方の解決にはならないと思われます。

 このような平均給与の数字だけでの比較や議論は、そもそも、その数字の根拠が違う(今朝の番組で片山元総務相がデータの基準が国家公務員と地方公務員は違っている)ことや、給与そのものが単純平均で比較することの意義についての疑問があることが無視されているのではないでしょうか。

 労働するもの個人の給与として議論するのであれば、労働の対価として相対的にどうであるべきか、つまり単純時間割でない労働部分や仕事に対する成果及び責任といったもの、あるいは個人の労働意欲に対する対価や組織の構成上の対価としての人件費といった諸々の要素が入り込んでくるはずです。 さらにこうした議論で、一律に何%を下げると言うことが何を根拠にされているのかが明確ではありません。また、すべてというわけではありませんが、行政は継続的なサービスとして一定の組織体系を維持しなければいけないという民間との違いも考慮されなければならないところもあります。

 確かに税金となる公務言いの人件費に対する世間の目は厳しいものがあると思われますが、こうした引き下げ議論よりも、時代とともに行政の在り方を考えていく、行政サービスの形を変えていくことによって人件費が妥当であるかを考える、行政の役割そのものを再構築していかなければならないのではないかと思います。

以上