ほ場整備事業に伴う発掘調査によって存在が明らかになった居館跡です。
15世紀初頭から16世紀初頭にかけての建物跡・土塁跡・池泉跡などの遺構が発掘により見つかり、池泉のある庭園を備えた居館(単郭方形居館)があったと推定されています。
居住者はこの地の地頭職にあった中沢(中澤)氏と考えられるようです。
下間川を挟んで東側にある高見城(高見氏)との関係は不明ながら同時期の存在で「城」と「住居」とも考えられます。
また遺跡の重要性に鑑み、破壊せずに土盛りをして保存した上でほ場整備を行ったようです。
写真は2019年の春に付近を散策した時のものです。
ほ場整備によって現在は地形や道の位置も変わり、わずかに痕跡が見られるのは、物見の施設があったと考えられる大夫郭(だいぼ)のみでした。
下記の航空写真は、ほ場整備前の1976年のものです。
現在の道路は赤色のラインで示してあります。
※出典:国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を加工して作成
※1976年の航空写真です。
1.
東側から。
中央右側のビニールハウスの辺りが発掘地点。
中央の住宅を挟んで左側の竹やぶ付近が大夫郭。
2.
少し近づく。
3.
南側に大夫郭の小山。
4.
ビニールハウスの付近が発掘地点。
現在の地形は参考にはならないが一段高くみえる。
5.
発掘調査地点付近。
6.
南側。
7.
大夫郭。
右側の一本の樹と祠がある付近が一段小高くなっている。
8.
右側が大夫郭、左側がうしろ田付近。
「小山第1・2遺跡 緊急発掘調査報告書」
(南信土地改良事務所・長野県教育委員会・駒ヶ根市教育委員会 昭和60年03月20日発行)