「独立愚連隊西へ」 1960年 日本
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監督 岡本喜八
出演 加山雄三 佐藤允 堺左千夫
大木正司 中山豊 江原達怡
山本廉 中谷一郎 平田昭彦
久保明 フランキー堺 田島義文
中丸忠雄 上村幸之
ストーリー
北支戦線。歩兵第463連隊は八路軍に攻撃を受け、軍旗を抱いて脱出した北原少尉を残し玉砕した。
北原の消息は分らず、師団本部は将軍廟の第463連隊留守隊長大江大尉に軍旗捜索を命令し、増援隊として現役小隊を派遣した。
その小隊は、隊長左文字少尉以下、日本軍隊からは厄介者扱いを受け、危険な戦線ばかりを転戦している独立左文字小隊だった。
左文字小隊は味方の軍用トラックを襲撃、被服、武器を揃えて将軍廟に入城したが事件が暴露し全員重営倉となった。
一方、師団本部から軍旗捜索視察のため将軍廟に向った新任参謀新田は、戦友を自決させた新田を狙っていた慰安所の主人早川に射殺された。
岩陰で見ていた神谷は、新田に化けて将軍廟にのりこんだ。
彼は驚く左文字隊員を軍旗捜索隊に任命、大江大尉を尻目に将軍廟を後にした。
やがて隊は、第463連隊玉砕の地に着いた。
隊の前を中国の花嫁行列が行くと、その先頭に立つ旗竿は失われた軍旗のものだ。
左文字は洞窟で軍旗を抱いて傷つける身を横たえる北原を発見した。
北原は左文字に軍旗を渡すと自決しようとしたが、止められた。
部下の許に帰った左文字は北原は自決したといった。
軍旗は戻ったがこれを狙う八路軍のスパイ金山と、二階級特進を狙う関軍長が本性を現わした。
関は戦争のない世界へ脱がれようとした小峯と羽島を射殺した。
隊は再び八路軍に包囲された。
左文字は金山を梁隊長に引渡し、決戦の時を待った・・・。
寸評
前年に戦争活劇として「独立愚連隊」が撮られているが、この第二作の方が笑いもアクションもスケールアップし、戦争に対する風刺・批判もブラックユーモア化してさらに皮肉が痛烈になっていると思う。
目玉がギョロリとして口の大きな特異な人相をした佐藤允の独断場で、こんな軍隊があるものかと分かっていながらも心情移入してしまう。
左文字少尉の加山雄三も生き生きしており若大将なんかよりもいい。
前作の「独立愚連隊」がラストの戦闘シーンで、あまりにも中国兵を殺しすぎだとの批判を受けたので、この作品ではラストで独立愚連隊と中国の部隊が戦わずに別れるという戦争映画ではありえないパターンとなっている。
中国兵の隊長役がフランキー堺なので、この滑稽さも納得させられてしまう。
オープニングで左文字小隊と延々と追いかけっこを続けているのがフランキー率いる八路軍なのだが、両者ともへばってしまい、今回は戦わないでおこう、その代わり次に会ったときには全力で戦おうと話し合いがつく。
なので、ラストでは左文字小隊と八路軍との激しい戦いが繰り広げられると予想するのだが、前述したようにこの作品は決着をつけないことで決着をつけるという、予想外の結末を用意している。
戦争なんて馬鹿馬鹿しいという反戦思想映画&戦争コメディ映画にしてしまっている。
物語は部隊の象徴である軍旗を取り返そうとするものなのだが、その軍旗のボロボロさと扱われ方のみすぼらしさを見ると、一体何のための戦闘行為なのかと思ってしまう。
人の命よりも重い行方不明の軍旗探索という命令を帯びているのだが、そんなバカバカしさがいっぱいあるのが戦争だとでも言いたげだ。
馬鹿馬鹿しい任務と分かっていながら、それを遂行するダンディズムがあるので痛快娯楽作となっている。
あくまでも明るく描いていて、悲壮感なんかはまるでない。
テーマ曲からしてすこぶる明るい。
愚連隊! イェイ!
イーリャンサンスー イーリャンサンスー イーリャンイーリャン
やいやいやいやい
今度はどこだ 西か東か南か北か
どこへ行っても鼻摘み イェイ!
イーリャンイーリャン イーリャンサンスー
結構耳に残るマーチだ。
出てくる連中はいいかげんな奴ばかりで、大きな算盤を抱えた占いの達人の堺左千夫演じる神谷などはまるで道化役者で、戦争そのものを楽しんでいるようなところがある。
どう考えても不信心そうなくせに、何故か算盤占いばかりやっているそのミスマッチ感覚が可笑しいし、途中で一等兵のくせに死んだ参謀になりすましてしまう図々しさとかが人を食ったように見える。
死んだと思われたときには「いい奴だったなぁ」って言われる愛すべき男で、実はこの映画で一番のもうけ役は、この神谷を演じた堺左千夫だったと思う。
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監督 岡本喜八
出演 加山雄三 佐藤允 堺左千夫
大木正司 中山豊 江原達怡
山本廉 中谷一郎 平田昭彦
久保明 フランキー堺 田島義文
中丸忠雄 上村幸之
ストーリー
北支戦線。歩兵第463連隊は八路軍に攻撃を受け、軍旗を抱いて脱出した北原少尉を残し玉砕した。
北原の消息は分らず、師団本部は将軍廟の第463連隊留守隊長大江大尉に軍旗捜索を命令し、増援隊として現役小隊を派遣した。
その小隊は、隊長左文字少尉以下、日本軍隊からは厄介者扱いを受け、危険な戦線ばかりを転戦している独立左文字小隊だった。
左文字小隊は味方の軍用トラックを襲撃、被服、武器を揃えて将軍廟に入城したが事件が暴露し全員重営倉となった。
一方、師団本部から軍旗捜索視察のため将軍廟に向った新任参謀新田は、戦友を自決させた新田を狙っていた慰安所の主人早川に射殺された。
岩陰で見ていた神谷は、新田に化けて将軍廟にのりこんだ。
彼は驚く左文字隊員を軍旗捜索隊に任命、大江大尉を尻目に将軍廟を後にした。
やがて隊は、第463連隊玉砕の地に着いた。
隊の前を中国の花嫁行列が行くと、その先頭に立つ旗竿は失われた軍旗のものだ。
左文字は洞窟で軍旗を抱いて傷つける身を横たえる北原を発見した。
北原は左文字に軍旗を渡すと自決しようとしたが、止められた。
部下の許に帰った左文字は北原は自決したといった。
軍旗は戻ったがこれを狙う八路軍のスパイ金山と、二階級特進を狙う関軍長が本性を現わした。
関は戦争のない世界へ脱がれようとした小峯と羽島を射殺した。
隊は再び八路軍に包囲された。
左文字は金山を梁隊長に引渡し、決戦の時を待った・・・。
寸評
前年に戦争活劇として「独立愚連隊」が撮られているが、この第二作の方が笑いもアクションもスケールアップし、戦争に対する風刺・批判もブラックユーモア化してさらに皮肉が痛烈になっていると思う。
目玉がギョロリとして口の大きな特異な人相をした佐藤允の独断場で、こんな軍隊があるものかと分かっていながらも心情移入してしまう。
左文字少尉の加山雄三も生き生きしており若大将なんかよりもいい。
前作の「独立愚連隊」がラストの戦闘シーンで、あまりにも中国兵を殺しすぎだとの批判を受けたので、この作品ではラストで独立愚連隊と中国の部隊が戦わずに別れるという戦争映画ではありえないパターンとなっている。
中国兵の隊長役がフランキー堺なので、この滑稽さも納得させられてしまう。
オープニングで左文字小隊と延々と追いかけっこを続けているのがフランキー率いる八路軍なのだが、両者ともへばってしまい、今回は戦わないでおこう、その代わり次に会ったときには全力で戦おうと話し合いがつく。
なので、ラストでは左文字小隊と八路軍との激しい戦いが繰り広げられると予想するのだが、前述したようにこの作品は決着をつけないことで決着をつけるという、予想外の結末を用意している。
戦争なんて馬鹿馬鹿しいという反戦思想映画&戦争コメディ映画にしてしまっている。
物語は部隊の象徴である軍旗を取り返そうとするものなのだが、その軍旗のボロボロさと扱われ方のみすぼらしさを見ると、一体何のための戦闘行為なのかと思ってしまう。
人の命よりも重い行方不明の軍旗探索という命令を帯びているのだが、そんなバカバカしさがいっぱいあるのが戦争だとでも言いたげだ。
馬鹿馬鹿しい任務と分かっていながら、それを遂行するダンディズムがあるので痛快娯楽作となっている。
あくまでも明るく描いていて、悲壮感なんかはまるでない。
テーマ曲からしてすこぶる明るい。
愚連隊! イェイ!
イーリャンサンスー イーリャンサンスー イーリャンイーリャン
やいやいやいやい
今度はどこだ 西か東か南か北か
どこへ行っても鼻摘み イェイ!
イーリャンイーリャン イーリャンサンスー
結構耳に残るマーチだ。
出てくる連中はいいかげんな奴ばかりで、大きな算盤を抱えた占いの達人の堺左千夫演じる神谷などはまるで道化役者で、戦争そのものを楽しんでいるようなところがある。
どう考えても不信心そうなくせに、何故か算盤占いばかりやっているそのミスマッチ感覚が可笑しいし、途中で一等兵のくせに死んだ参謀になりすましてしまう図々しさとかが人を食ったように見える。
死んだと思われたときには「いい奴だったなぁ」って言われる愛すべき男で、実はこの映画で一番のもうけ役は、この神谷を演じた堺左千夫だったと思う。
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