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「バード」 1988年 アメリカ
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監督 クリント・イーストウッド
出演 フォレスト・ウィテカー ダイアン・ヴェノーラ
マイケル・ゼルニカー サミュエル・E・ライト
キース・デヴィッド マイケル・マクガイア
ジェームズ・ハンディ デイモン・ウィッテカー
ストーリー
1954年9月1日、自殺を図り精神病院に収容されたバードの脳裏に、18年前、16歳の時の故郷カンサス・シティでの記憶、ヘロイン中毒死した父の遺体、そしてレノ・クラブでのコンテストでシンバルを投げられた屈辱が蘇る。
それから8年後の43年、ニューヨークの52番街のクラブで<ビ・バップ>を創始して成功を収めつつあるバードの演奏に、観客は熱狂している。
その頃彼はダンサーのチャンと出会い、バードの音楽にはひかれてもプロボーズには応じない彼女に、サックスを質に入れ白馬を借りて、仲間の演奏をバックに颯爽とチャンを迎え、これによって彼女のハートを射止めた。
やがて彼らは西部に進出するが、そこではビ・バップは侵略者扱いされ、バードは酒浸りとなり入院、そんな彼が再びニューヨークで仕事に戻れたのはチャンの奔走のおかげだった。
49年はバードにとって飛躍の年となった。
パリでのコンサート、「バードランド」の開店、白人トランペッター、レッド・ロドニーを仲間に引き入れた南部の演奏旅行で成功を収めるが、レッドが麻薬捜査官に逮捕され、ニューヨークで仕事がしにくくなりロスに旅立った頃から、バードに影が差し始める。
娘ブリーの死、そして半年後には自殺未遂を企てた。
寸評
ジャズは僕が好きな音楽のジャンルの一つであるが、モダン・ジャズの父とも呼ばれるチャーリー・パーカーのことは全く知らない。
これはそのチャーリー・パーカーの伝記映画だが、出演者も内容も地味でチャーリー・パーカーを知らない僕はあまり楽しめなかった。
クリント・イーストウッドが音楽に造詣が深く、特にジャズが好きなのだろうなと言うのは感じられたが僕は作品に乗り切れなかった。
それでも演奏シーンだけは満足できるもので、夜のムードの中で映し出されていくライブハウスの雰囲気に酔いしれ、流れるジャズの調べを聞いているだけで楽しくなってくるのは音楽の持つ力だ。
それもそのはずで、演奏場面はチャーリー・パーカーのオリジナル音源からパーカーのサックス演奏だけを抜き出し、当時の若手ジャズ・ミューシャンによる演奏と合成したものを使用しているらしい。
チャーリー・パーカーの生き方は滅茶苦茶だ。
音楽で成功した人というより、麻薬とアルコールに依存して健康を損ない、幾度も精神病院に入院するなど破滅的な生涯を送った人という印象である。
それらを克服してモダン・ジャズというジャンルを確立した偉人物語ではなく、事実もそうだったのだろうが、才能が有りながら薬物で身を滅ぼして亡くなった人物を描いているようで気が滅入ってしまう。
カンザスシティで過ごした少年時代、チャン・リチャードソンとの結婚、麻薬使用による警察の追及、精神病による入院生活、人気を博す演奏場面などが入り乱れるように描くとによって、チャーリー・パーカーの人物像を浮かび上がらせようとしているようだ。
自分の楽器を質に入れ、その金で白馬を借りてチャンにプロポーズするような楽しい場面もあるのだが、全体としてはそのエピソードも覆いつくしてしまうほど暗く感じる。
音楽は時代と共に変化している。
我が国においても、もてはやされる音楽はその時々によって違っていて、そのたびに新しい呼び名で呼ばれる音楽が流行してきている。
僕が物心ついてからでも、ロカビリーなるものが熱狂的に支持されたことがあったと思えば、グループ・サウンズというものが大流行した時期もあったし、それに飽きたのか次はフォークソング・ブームがやってきた。
ニュー・ミュージックと呼ばれる音楽も誕生した。
世相や人々の暮らしが、当時の若者たちが目指す音楽に大いに影響を与えてきたのだろう。
アメリカにおいては黒人たちが愛する音楽が歴史を生み出してきたのだろうなと感じた。
彼らの持つ感性が新たな音楽を生み出していったのかもしれない。
チャーリー・パーカーは偉大な演奏家だったのかもしれないが、後半で描かれていたのはやがて台頭してくるロックン・ロールだった。
チャーリー・パーカーにはその音楽が理解できなかったのではないかと思う。
後年、秀作を連発するイーストウッドだが、「バード」はまだその域に達していないように感じる。
映画作りの本数をこなしたせいか、歳をとってからの方がいい作品を撮るようになった。
2000年代に入るといい作品ばかりである。
クリント・イーストウッドが監督した映画「バード」の「バード」とは、ジャズの歴史を新しく変革したチャーリー・パーカーの異名だ。
その名に相応しく、彼の音楽は、天衣無縫の言葉どおり、どこまでも軽く飛翔し、彼の新しい音楽へのアイディアは、尽きることなく溢れ出た。
ジャズへの造詣が深いクリント・イーストウッドが、監督に専念して作った、この「バード」は、ひとりの偉大なアーティスト、バードことチャーリー・パーカーに焦点を当て、サックス奏者として1930~1950年代にかけて活躍し、ジャズに革命をもたらしながら、34歳の若さで逝った、彼の悲劇的な生きざまを、回想を交えた絶妙な演出と深みのある映像で映し出していくのです。
彼は、1930年代にカウント・ベイシーやレスター・ヤングが活躍したカンザス・シティで、彼らの音楽を聴いて育ち、彼らのブルース色の濃い音楽が、バードの音楽の源になった。
ビック・バンドの一員として音楽の修行を積みながら、1940年代前半には、ニューヨークのミントン・プレイハウスでのチャーリー・クリスチャンやセロニアス・モンクらによる、新しく芽生えつつあったジャズ・ムーブメントの渦中にいたのだ。
この間のレコーディングが、ほとんどないために、彼の音楽的成長を聞くことはできないが、チャーリー・パーカーが、彼の音と共に新しいジャズの形態を示したのは、1940年代半ばのサヴォイとダイアル両レーベルへの吹き込みであった。
この時期の彼の音楽こそ、スウィングと呼ばれたビッグバンドによる商業的に成功したジャズから、ディジー・ガレスピーらと共に、"ビ・バップ"と呼ばれる少人数のコンボによる、より自由で、より個性的なジャズのスタイルを生み出す契機となり、原動力となったのだ。
その後、彼はノーマン・グランツという、商才に長けたプロデューサーによるヴァーヴへの録音を主に残し、1955年にその短い人生を終える。
映画は、この彼の人生の死の直前である1954年を現在とし、娘の死後の彼の自殺未遂という事件を軸にして、回想の形式を装いながら、過去のエピソードを自由に組み込みながら進行していきます。
個人のオリジナリティが、ジャズという音楽形態そのものを変えてしまった、優れて現在的な真のアーティストであるチャーリー・パーカーの音楽的達成に至るまでを、伝記上のエピソードを交えながら、その音楽を生んだチャーリー・パーカーという人間そのものに光をあて、晩年における音楽的不遇と最後の事実上の妻である、チャンとの家庭生活の困難を描いていくのです。
時制の異なるエピソードを、意識の連鎖によって物語っていく形式は、映画が常に現在として、眼前で展開していくことを踏まえた、その手法の可能性の豊かさを示していると思います。
晩年のパーカーは、余りある音楽的才能を十分に発揮するチャンスに恵まれず、チャンとの幸福な家庭を持つことが、彼の夢となっていくが、そういう彼の非常に人間的な姿が描かれていくのです。
実際、バードを演じたフォレスト・ウィテカーは、その映画の冒頭から私の目に戸惑いと共に現われてくるのです。
ここまで、チャーリー・パーカーは、感傷的で弱い人間であってよいのだろうか。
チャーリー・パーカーの残した音そのものと、数枚の白黒の写真と彼の伝説によって作られていった、私個人のバードのイメージは、次々と壊されていくのです。
雨の降った後の緑の映える公園で、チャーリーと乳母車を押すチャンとの再会のシーンであらためて、彼の肌の色が黒ではなくブラウンだったのだというバカバカしいほどの当然さに驚き、演奏シーンでは本当にバードは、こんな風にアルトを抱え、こんな姿勢で演奏したのだろうかと、どうでもよさそうなことが、ひどく重要に思えたりしてくる。
チャーリー・パーカーその人は、彼の音楽の体現者であり、優れた才能を有するプレイヤーであったはずである。
彼のアルトの音色は、彼独自の刻印であるがゆえに、演奏シーンでの彼の演奏は、彼の音でなければ確かに人は納得しないだろう。
そして、サウンドトラックには、バードの音だけを抜き出してくるという離れ技が用いられているが、私には疑問が残る。
彼の音は誰よりも早く、他のどの音よりも大きかったはずなのに、映画の中では周囲の音に埋没してしまっているのだ。
バードがバードたるゆえんのインプロヴィゼイションとは、その時、その場限りの二度と同じことは起こらない、固有のセッションでの各プレイヤー間のリアクションであり、相互影響の所産であるはずなのに、彼の音は完全に孤立している。
例えば、映画中の「ナウ・ザ・タイム」は、おそらく1945年11月26日のサヴォイへの吹き込みからのものであろう。
この日のレコーディングは、チャーリー・パーカーの名義で録音された初めてのものであり、彼の音楽がビ・バップとして録音された歴史的な録音でもあった。
この時のトランペットは、マイルス・デイヴィスが吹いていて、すでに彼独自のサウンドが準備されていたことがわかる。
そして、有名な「ラバー・マン」のセッション。
これは、彼がカマリロ病院に送られた、まさに直前の1946年7月29日のダイアル録音からのものであろうが、この時の録音から窺い知れるのは、各リズムセクションが、パーカーの演奏を息を呑むようにして見守りながら、彼のアルトについていき、トランペットのハワード・マギーが、パーカーを擁護している様子が目に見えるようだ。
このチャーリー・パーカーという実在したプレイヤーと、彼のレコーディングした音と、フォレスト・ウィテカーというバードを演じる俳優との間に、映画「バード」は生々しく揺れ動いているのです。