全開の「復讐スカー」編を見たので、完結の方も見ないと失礼かなと。
という事で、見てきました
前回も書いたけど、「原作と違う」と語っても仕方がないですよね。
予算の問題もあれば、実写という制限もあるので、実現できる・できないは絶対あるでしょう。
なので、工夫を凝らして「見ごたえ」のある表現に変えるというのは、アリだと思いますし、腕の見せ所ですね。
逆に作り手の立場として
「よく頑張っている」
という評価は、うれしいのでしょうか?プロとしてどうなんでしょう?
「すげーの作ったぜ!どうだ!」
って思いで作っているはずであり、「努力は認めるよ」的な評価は逆に恥なのでは?と思うわけです。
と、どんよりした言葉でブログを始めてしまいましたね。。。
本当に原作と2つのアニメーションを意識し、テイストを盛り込み、オマージュし、外さないように作ろうとする気持ちが感じられます。
手本にするものがたくさんあるので
「トレースすれば、真似すればいいよね~」
という逆のとらえ方もできます。
映画のフォーマットは、約140分。
率直な感想は「長い」長すぎる。
起承転結もない、盛り上がりに欠ける、このシナリオでは「長い」以外に感じられません。
手本を盛り込んで、ダラダラトレースすることを目的にしたと思われるので、この140分という時間を起承転結のウェーブとして作りこんでいないのかもしれません。
それゆえに、後半になるにつ入れて「盛り上がる」という視聴者の気持ちが・・・なえてしまいます。
感じたのは、この作品のシナリオなり脚本なりを考えた人たちは、プロットとキャラクタの移動を紙に書いて会議したのかな?
と思うわけです。
シーンの移り変わりが唐突に行われ、何の説明もありません。
この人たちは「伏線」とか「誘導」というものを知っているのかな?と感じるわけです。
つまり、「次は~~へ行く」とか「すぐ戻るぞ」とか、あえてセリフで話すことで視聴者を誘導するのですが、これが無い。
そのため、シーンが変わると遠くに移動していたりします。
見た人から見ると「えっ?どこ?何故ここにいるの」なんて感じられるわけです。
たしかにワザとらしいセリフですが、このセリフが伏線につながったり、視聴者を誘導することになります。
手本をトレースすることに注力しすぎて、この「実写映画」の中でのキャラクターの動きや時間の経過を示す事を忘れちゃってます。
手本を無視してでも、キャラクターが自然に動き、時間経過が自然になるようにすると良かったのにね。
昔の火曜サスペンスを見習ってほしいですね。
何も言わずに移動する場合は、電車に乗っているシーンを1シーンだけBGMで差し込むとかって奴。
こうすると、演技不要で視聴者に印象付けられ、自然な流れになります。
こういう細かいところが、「お話」では必要なのです。
そもそも、エドは何を目標に140分走っているのでしょうか?
そして、この中でサブシナリオがありますが、それらは何をするシナリオなのでしょうか?
結果140分は、何を目的にしたものなのでしょうか?
これらが全く語られません。視聴者が置いてけぼりです。
なぜ伏線として、セリフで「ちょっとだけ」でも話させないのでしょうか?視聴者への印象操作は、限られた時間で語る場合の必須事項です。
これが無いので、何にも目的感を共有しないまま進んでしまっています。
まあ、鋼の錬金術師を知っている人向けに作っている?のかもしれませんが、物語としての最低限の誘導は必要ですよ。
ざっくりいうと、アルが「エドの体と自分の腕と足を取り戻す」という目標が事の発端。
ですが、「この世界、何かに操られている。それに立ち向かう」事がサブシナリオ(というか、ハガレンの全体構成)になっていて、それらが1つになってエンドを迎える。
これが流れです。
これを、ところどころでキャラクターに話させるんです。わざとらしいですが、印象操作です。
それから「動かないカメラワーク」。
とにかく全編「役者のアップ」と「向き合った会話の横から俯瞰」で構成されます。
これ一辺倒。
中世っぽい世界観なのですから、引きの絵や背景のみの絵を使って「世界観」を出すべきなんだと思います。
それが、常に役者のアップのみ。
そして背景が動かない。もう紙芝居状態です。
カメラワークやら画角やら、アングルってなに?って感じです。
役者との契約で「アップ9割」って契約になっているのかな?
あとは、CGには金がかかるので、壮大な背景は作りたくないって事なのかな?と深読みしてしまいます。
今公開中の「バクテン」これのCGを見てほしいです。
「バクテン」をTVシリーズで見た時は、衝撃を受けました。
「美しく、自然でかっこいい。こんなCGが作れるのか!」
と。
背景をブラックアウトし、とにかくキャラクターの動きだけを印象的に、また躍動的に見せる。
そしてカメラを縦横無尽に動かすことで、実際には撮れない映像を迫力満点で見せるCG。
これこそが「視聴者に見せる。どうだ!すごいだろ!」につながっています。
演出とはこうだ!と言わんばかりの、製作者の心意気が伝わってきます。
なぜ、実写はこういう心意気が伝わってこないのでしょうかね。。。
役者のアップは「もういいわ。。。」ってぐらい。
表情で演技ができるのならまだいいのですが、やっぱり「学芸会」演技。怒鳴りあう奴ですよ。
ジャニーズでは、ああいう演技教育なのでしょう。
そういう演技は舞台でちょうどいいのかもしれませんが、アップでやる演技では無いです。
芝居やたたずまいで演技してほしいです。
アップばかりなので、「鋼の錬金術師」という作品の躍動感や爽快感が、完全に失われてしまっています。
やっぱり邦画は、動きのない学園ドラマしか作れないのですね。。。
全編、眉間にしわ、上目遣いで睨むような演技。
それも、全員。
キャラクターの心情なんて、無視の無視。
もっと表情豊かな役者を使うべきだった。。。というか、こういう演出なのかな?
舞台は右(上手)から、左(下手)へ風が吹くと、何かで読んだことがあります。
つまり、下手へ移動すると「希望を持った」ポジティブな移動になり、上手にを動くとネガティブな移動になります。
ゲームでも右に移動することで緊張感を演出します。
他に使われる演出に、カメラに向かって移動することで「緊張感」を、奥に向かって移動することで「希望」に向かうという演出。
アメリカ映画でよく使われます。
アメリカの映画は、この方程式を忠実に守っているように感じます。
つまり、役者の演技以外、カメラワークでキャラクターや、このシーンの心情を語るのです。
邦画は、見事に無視。
そのため、シーンで視聴者に感じてほしいというメッセージが皆無、もしくは逆の印象を与えてしまっています。
最後のシーン、アルは右向きになって終わります。
なぜ、左に歩かせなかったのでしょうか?
奥に向かって移動させても良かった。
希望を持った終わり方なのに、緊張感だけが残り・・・ただただスッキリしない感じになってしまいます。
作品は良い。
一つ一つの見せ方、印象操作が雑なだけに、全てがスッキリしない、爽快感が無い話になっています。
それゆえに140分長い。
そう感じました。
あとは、何かの記事で読みました。
役者の記事で「作品に恵まれない」って書いてあったのですが、これは良くないですね。
あなたも作品の一部です。