寒いですね~。
でも、わが土地はで雪が降るほどではありません。
で、先週(2022/12/11)見てきました。
話題の「すずめの戸締り」。
映画館はいっぱいでした。
「新海誠」という名前の力はすごいですね。「宮崎駿」「庵野秀明」と並ぶ感じなんですね。
他にも、監督さんはたくさんいますが。。。メディアの力か。
一般の人には、もっと色々な作品を・・・そう、監督名ではなく”作品”を見て欲しいですな。
とまあ、そんな話はこちらに置いておいて、見てきました。
まずは・・・「おばさん、この席間違っていませんか?」ってところから始まりました(笑
いつも思うんですが、私の席に必ず誰か座ってるんですね。
不思議です。。。
とまあ、そんな話はこっちに置いておいて(二回目
「すずめの戸締り」ですね。
フォーマットは、約120分。
新海監督・・・というか、このチームさんは「画期的」な事をやっているように見えて、実は映像手法に忠実なんだな~と思います。
ほんと、映像は細かいところまで書き込まれていますし、背景美術と前面のキャラクターが絶妙にマッチしている。
背景の撮り方も絶品で、それだけで物語の説明ができてしまいます。
いや、背景だけでキャラクターの心情を表現していると思います。
うまい、本当にうまいと思います。
序盤の坂道を上から撮っているシーン。奥に向かって坂道が下っている。
そこを奥から男の子が登ってきて、奥に向かって女の子が下っていく。
必然的に男の子は正面から、女の子は背中のシーンになります。
今でもアメリカ映画では、ちょくちょく出てくるシーンですが、これは凄く意味深なシーンになると思います。
奥から登ってくる、つまり「何かに向かっていく。苦難に向かっていく」という所を意識付けます。
逆に奥へ下っていくというのは、「未来に向かっていく、軽やかに速度を上げて」と感じさせます。
それが、キャラクターの心情を表していて、見ているほうにも意識付けしているので没入感が強まる効果があると。
他にも、走るシーンは大体「左から右」、坂道は右肩上がり。
そのシーンに対するキャラクターの心情を動きとカメラワークだけでちゃんと示していて、すごくわかりやすくつく手ある点が、映像表現に忠実なんだな~と感じさせます。
そいういう所をしっかりと押さえられているので、心理的な矛盾を感じずに物語に対して没入できるのでは?と感じます。
ちょくちょく、スポンサー名を入れるあたり・・・気を使っているんだな~と。
こういう点について、非常に面白かったと思います。
おさまりが良く、わかりやすく、大衆映画としては万人に受ける物語として、映像としてバツグンだと思いました。
で、なんですけどね。。。
(おっ来た!)
お話が・・・何言いたいの?って思いました。
すみません、ひどい言い方ですが。。。
このお話の「本質」というか「本筋」は何?
と言う感じです。
サブシナリオが多い。のは良いんですが、他の話と絡まないので発散している感じがしました。
話自体「戸締り」がメインシナリオだと思わせておいて、多分違うのではなかろうか?
多分、男の子と女の子との追いかけ恋愛プチドラマの方でしょう。
もう「戸締り」がサブシナリオ。
家族ドラマもサブシナリオ。
恋愛ドラマがメインなので、他のシナリオとの絡むところが無い。
なので、各シナリオがバラバラになるという、アンバランス感が出てしまったのかな?と。
ただ、シーン一つ一つをバラバラに見てしまえば、映像は美しいし、お話は理にかなっているので良いお話です。
全体を見る力より個別の恋愛観が好きな人、シーン毎に見たい人、お話とお話の関係は理解の範疇を超えている人には、すごく見やすい話です。
恋愛ドラマとしては、甘酸っぱいというか、少年少女には「キュン」という話ですね。
お~い「戸締り」どこに行ったんだよ(笑
ですよね。この辺りの説明というか、矛盾が沢山あって「あ~どうでもいいんだな~」と思ってしまいます。
アニメを見ていると多少の矛盾は、スパイスとして全然かまわないのですが。。。
映画館でもらったブックレットには、ちょこっと説明がありましたが、後で説明しないといけないものは無いのと同じ。
要石は、何故猫なのか?猫が走り回る理由は?何故付きまとう?なぜ東京に?東京の要石って簡単に抜けるもの?そして、なぜ最後に捨て駒にされたのか?
男の子は、なぜ救われなければいけなかったのか?
最大の不思議は、「主人公は、なぜ全てが、苦労もなく挫折もなく、すんなりうまくいくのか?」です。
ほんと、うまくいきすぎて物語としては重みが無い。
男の子の漫画では、あまりないのですが・・・本作は、あり得ないぐらい挫折が無い。
苦労が無いので、見ている人に対して語り掛ける何かが無い。
なぜ、村のバス停でたたずんでいる時、すぐに誰かに助けられちゃうんですかね?
こういう所から「すべて順調」に感じさせて、とても「軽さ」を感じさせる点、少女漫画風味だな~と感じるんです。
そして、なぜ途中で旅モノを入れたのか?
その中に、それほど重要なメインシナリオに絡む部分が無いので、中だるみとしか思えない。
確かに若干はあるんだけど。。。
旅モノと言えば「キノの旅」。
街についた時と、前後の移動シーンには、必ず関連があります。移動シーンに語られる話には、街自体への教訓や考察、思いが語られます。
そうして、移動シーンも無駄にしない作りになっています。
移動シーンと言うのは、のんびりな感じもありつつ重要なファクターなんですね。
「戸締り」には、旅の最中に意味がそれほどもない、昔の歌謡曲を流すという・・・スポンサーなのかな?許可をもらったから?なのかな。
流すことで、ただノスタルジックさを演出するぐらいの意味しかなかったように感じます。
あとは「方言」。
なぜ「方言」にこだわる?私が東京でバリバリ仕事をしていた時は、知人から「方言を話す娘はかわいい」という話も聞きました。
それだけで方言を選びました?
地方に住む私から言えば「無知」の象徴で、「村社会」「無法」の象徴なんです。
なので、欲を言えば地方や「方言」を前面に出すのは、やめた方が良いんじゃないかな?と。都会の人のエゴなんじゃないかな?と思っている次第です。あくまでも個人的な見解です。
で、主人公の女の子は、なぜ要石にされかかった男の子を救い、元要石の猫を再度要石にすることに「何の罪悪感もなく」臨んだのか?
この部分、面白いですね。
新海監督が、そういう点が感じられない作家だとは思えません。
前作の「天気の子」でも、ラストは「自分たちさえ幸せなら社会がどうなっても」という流れでした。
同じようなものですが、前作を見た時は「尖ったな」と思いました。
今回も同じような感じ。
で、どちらの作品のエンドにたいして「?」を持った人、結構少なかったのでは?と思います。
あくまでも私の感想なのですが。。。
このエンドには「毒」を入れたのでは?と思うんです。
監督が「わかって」やっているような。
今の時代「知らな人には、どんな失礼なことをやっても罪悪感が無い」って時代じゃないかと思います。
失礼な話ですが。
あおり運転もそうですし、高齢者が知らない人に怒鳴るのもそう、若者が暴れるのもそう。
ネットで知らな人に罵詈雑言を言うのもそう。
知らない人に対しては罪悪感がわかない。
なので、主人公も女の子も「知らない猫より、知っている男の子」を優先し、猫が今後何百年要石にしても知ったこっちゃないという判断をしたという「毒」なのでは?と感じます。
なので、元要石の猫に対する情報って極力出さない「知らない猫」という演出を突き通したのではなかろうかと思いました。
まあ、社会に対する警鐘ってほどじゃないけど、思想的な「毒」って感じではなかろうか?
再度書きます。あくまでも私の見解です。
映像としては素晴らしいです。
シナリオは、詰め込みすぎな感じなので、30分ぐらいのオムニバスにした方が良かったかな。
主人公が全てうまくいくところを誤魔化せますし、旅シナリオの中だるみや、メインシナリオをボヤ化すところもふんわりさせられたのではなかろうか?と。
・・・ああ、新海監督が意図して「毒」を書いたという話は無く、あくまでも私の見解です。お間違え無く。