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あなたから一番遠いブログ

自分が生きている世界に違和感を感じている。誰にも言えない本音を、世界の片隅になすりつけるように書きつけよう。

高倉健と全共闘

2014年11月20日 18時17分42秒 | Weblog
 高倉健が死んでいたことが明らかにされた。高倉健について何かを語れと言われれば、多くの人が語るべきことを持っているだろう。もちろんぼくにもある。だからこの文章は決して高倉健を批判するものではない。
 ただ、なぜ高倉健はこんなに誰からも好かれるのだろう。実はそこに「健さん」の秘密があるのではないだろうか。

 ぼくにとっての高倉健はやはりまず第一にヤクザ映画の健さんである。世代的にはヤクザ映画を観た世代ではないが、銭湯の脱衣場にポスターが貼ってあった印象があるのである。もっともポスターと言っても大半は文字だけの三本立ての広告だった。見たことのない人も多いだろうが、赤、黄、黒などの三色刷で縦書きの映画名が三列並んで書かれているだけという安っぽいものだ。邦画はたいていヤクザかポルノか時々まんが、怪獣映画だった。付け足せば三本立て上映作の中には五年以上前の古い映画も多く、その意味でも少しタイムラグがあったのかもしれない。
 そんな中にたまにカラーの封切り用ポスターが貼られることがあって(とは言えやっぱり三本立ての一本だが)、たぶん諸肌脱ぎで「もんもん」を見せる健さんがあったと思う。ちなみに銭湯の中にも「もんもん」の人が結構いた気がする。
 ぼくの高齢の母も高倉健はヤクザ映画だと思っているので「この人の映画は観たことがない」と言っている。ヤクザ映画から「引退」した後も、高倉健のイメージは「寡黙」「不器用」「男」という感じだろう。一般的に大衆に受けるようなものではない。それがなぜ老若男女に愛される大スターになるのだろう。

 こうしたイメージは群れない一匹狼のイメージであり、それはアウトローのイメージに係ってくる。
 マスコミでは高倉健の特集が広がった。本当なら突然の解散総選挙の方が大ニュースだろうが、そちらの方が霞んでいるくらいだ。そうした中で意外なほど触れられているのが全共闘世代のシンボルという側面だ。これも先日少し触れた左翼に関する報道が増えているということと関連があるのかもしれない。
 全共闘などで闘った当時の若者は、義理と人情の中で理不尽な非道に耐えに耐え、最後に怒りを爆発させて超人と化す主人公に、自分を置き換えてヒロイズムに酔ったのだという。そこでは自分を既存社会に対するアウトロー、世界を根底からひっくり返す革命家として自らを投棄する決意を重ね合わせたのだと解説される。

 しかしあえて言うが、彼らは本当にアウトローだったのだろうか。そして健さんもまたアウトローだったのだろうか。
 少なくとも映画で高倉健が演じる主人公は本物のヤクザではない。あくまでヤクザをモチーフにしたファンタジックなヒーロー物語だ。その後の「仁義なき戦い」から始まるニヒリスティックな実録路線の映画とは一線を画している。「仁義なき戦い」の菅原文太や梅宮辰夫もスター俳優ではあるが、高倉健や池辺良とのイメージの違いは明らかだ。蛇足だけれど、1980年代前半にぼくが留置場で一緒になった人達には、実録映画に出ていた俳優の人気がとても高かった。
 東映のヤクザ映画が任侠路線から実録路線へと転換していくのは、70年安保闘争の敗北と終焉の流れに一致する。それはもうひとつついでに言えば日活がロマンポルノ路線に転換していく時期とも一致している。
 高倉健はそのタイミングで東映から離れ「幸せの黄色いハンカチ」「八甲田山」を転機に性格俳優の道に向かうのである。

 全共闘の若者たちはどうなったか。彼らもまたきれいに革命運動から召還し、社会の中核に入っていった。現在日本社会のトップレベルにある政治家や文化人、経営者の中に多くの全共闘メンバー、党派活動家がいることは周知の事実だ。そうした人達の中には運動のリーダー的存在だった人達もいる。
 見ようによっては、高倉健がアウトロー役を脱して最後には文化勲章を得るまでのメジャー中のメジャーに上り詰めたのと、全共闘運動という反体制派から既存社会の中枢を占めるに至った人々とは、大変似たような軌跡を描いているように見える。
 彼らは別にアウトローではなかった。俳優はもちろんそうした役を意図的に演じただけだが、若者もただ流行に乗っただけだったのではないのだろうか。役柄はともかく映画スターは実際には流行の最先端だし、若者の反乱も世界的な「トレンド」だった。そこに乗っかっていくのはアウトローや一匹狼とは正反対のあり方だ。そう考えれば、元党派活動家がその後流行語を生み出して一躍時代の寵児にのし上がったなどというエピソードも別に不思議ではない。

 ぼくや、ぼくの世代の「遅れてきた左翼」は全く流行には乗っていなかった。社会的な支持も薄く本当にアウトローのようだった。というより今でもぼくはアウトローなのかもしれない。勝新太郎のようにメジャーなアウトローもいるが、我々はマイナーなアウトローであり、全く何も良いことがない。
 でもそれこそが本物なんじゃないのかな、などと小声でつぶやいてみたりして…