あの場合はああ、この場合はこうは自己満足でしかないでしかないと思う。
今の世の中はその時々によって同じような行為に対して意味合いがその都度つけられている。
あの場合はああだ、でもこの場合はこうだ、と。
それがとても多い。
多すぎる。
なので、日常の様々な事柄でも色々な制約があり、それもその時々によって違う。
しかし、その行動の結果はあまり大差無く、騒いだだけでイイ結果には収まっていない。
余計に面倒が増強されている。
むしろさらにもっと細かい「あの場合はああだ、でもこの場合はこうだ」が増えている。
シンプルではないな。
簡単ではない。
人の頭脳では判断しきれないレベルに達してる。
だからAIの出番か。
瞬時に複雑怪奇な問題を解かないと次に進めない。
もはや人の住処では無くなってる。
だからサイボーグに突き当たる。
多くの計算を電卓で処理することはとても便利になった。
でも、今度はその操作がとても難しくなった。
キーボードの操作のレベルが求められた。
最近は言葉を発するれば会話でAIが聞き取って処理してくれるようになった。
ところが今度は会話のスキルが必要になる。
キチンと喋らないとAIが正確に認識しない。
会話は活字に比べてスピードが早い。
言葉の処理スピードも求められる。
結局は「人のスキル」に戻るのだろう。
誰が何をどう使うか?
人の能力が低いと結果の悪い未来につながる。
現在は誰でもがその処理をインターネットの中、SNSで繋がっている。
だから過った他人の情報を元にAIが処理し、回答を出す。
そこに漬け込む悪い奴らがいつの時代も出てくる。
昔のようにシンプルに「だめだよ」で済ますことがなかなか難しくなってきてる。
時代にもよるが、そうなった場合はたいていリセットされる事が多い。
そろそろ多くのよしな仕事にリセットの力が働く頃合いなのかもしれないなぁ。
それがどんな未来を持って来るか。
AIにはそれは見えないような気もする。
理解の行き止まりは計算上の解答では到達できないから面白い。
矛盾と不合理と間違いから新しい未来が産まれる。
人はそういうのを好むから。
「あの場合はああだ、でもこの場合はこうだ」は今のただの自己満足でしかない。
人はそれの外に行く。