賃貸住まいの高齢者

単身赴任生活が終わり、定年。でも生活できないから、、どうしよう。。

危害を与える人たちの中には

2025-01-24 05:31:01 | メンタル
全てがそうとは言えない。
しかし、危害を加える行為をした人の中には救いを求めてる人もいそうに感じる。

疲弊してしまい救いを求めてる人たち。

どうにもこうにも考えが定まらない時には、私は誰かに救いを求めたくなる。
そもそもそういう時には自分自身で対処法が見つからない。
どうにかして救われたいと思い蠢く。
とにかく右往左往する。
藁をも掴む気持ち。
何かに縋りつきたい。

ところが意識が破滅へと向かいつつある手前までは自制心が働くが、何かのキッカケや弾みでその自制心を突っ切ってしまう。
「もう終わりだ・・・」
その意識がタガを切ってしまう。
そういう時に何かの危害をあたえる行為に落ちることがある。

何かの迷路に入り込んだ時に
「そもそもそれが存在しなければ全てが終わる」
そういう意識に陥ったことがある。
それが人に関与する事なら最悪もあり得る。

つまり
「そもそもあいつが居なければ」
その言葉が脳裏に浮かんだときは要注意。

そういう時にタガが外れていたら、最終手段まで行き着くことがあった。
これは経験しないと解らないと思う。

世間から つまりは「精神疾患」だと言われる。
個人差もあるだろう。

そこまで行かずに済むのは周囲の人間関係性が重要な気もする。
それだけではないが、人と人の関係性は大きい。
特に家族関係は大きいと感じる。

そこで昨今の都市化された社会環境を見る。
東京一極集中だという。
みんなこぞって集団の中に身を置く。
まぁ、そこまでなら見えない課題。
そこからが問題。
集まりすぎることで現在は個別の暮らしがデフォルトになってる。
一人一人孤独なマンションに住む社会が現実化した。
狭い都市に個々で隔たった空間で区切られて生きている。
角度を変えて観察し言い換えれば、まさに独房だろう。
マンションで無くともそういう環境に身を置くと、先に述べた精神疾患の種が生まれる。

危険はそういう見えない環境にある。

現代社会は見えない危険が多い。

PN2.5における課題もある。
今の暮らしの中には既にPN2.5という言葉で著される環境汚染がデフォルトになった。
例えば江戸時代の人を今の時代の空間で息をさせたらどうか。
きっと、
「臭くて生きられない」
と言いそうだ。

現代人の誤解。
つまり、例えば 核汚染ではないから良い、と思ってる誤解がある。
日々の生活の中、危険は既にある。
放射線ではないから安心ではない。
既に、汚染された空間に生きてる。
だからアレルギーという現代病に侵されている。

そこを色メガネで見ている。
薬で対処するという。
それはまさに、ただの痛み止めと同じであり、根本的に健康になったわけではない。
誤魔化してるだけだろう。
蝕まれていく身体を感じさせていない、麻痺させている。
だからどんどん蝕まれてく身体であり、環境悪化は突き進む。
CO2の問題しかり、コロナ感染やインフルエンザなどの感染症然り。
全て、ゴマカシでしかない。

自分たちで生み出した環境で疾患になり、自らその被害に遭う。
そういう事を敢えて見ない現代人の意識、考え。
しかし、そういう社会で生きる我々がそこから抜け出すには、世の中を否定する行為を甘んじて成さねばならないのである。

そこには人の意識の攻撃を受ける覚悟がいる。
なかなか、どうして。
そこができない。
今を生きるということはだんだん難しくなってきている。
子供の頃から成長しなければ良かったと思う歳代になってきた。
つくづく。
つくづく感じる。
心傷する。

世に中、危害を加える行為をした人の中からそういう傷の痛みから悲鳴聴くことがある。
私も傷がそこまで成らぬうちに対処できるかどうか。
これもまた自信がない。
みんなはどうなんだろう、と思いながら残念な世間様の中、今日も生きる。
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頭の中に出てくるいろんな雑念

2025-01-24 05:14:59 | メンタル
「文句っタレ」の自分にとっては、何かにつけて文句や苦情を言いたくなる。
しょっちゅう目についたものや気になることに対して何やら言いがかりをつけている。
それがわたし。
その人やそのモノに対して直接の言うのではなく頭の中にいろいろ渦巻いて出てくる言いがかり。
湧いて出てくる泉のようなものだ。
とにかく、言いがかりをつけたい。
でもってそういう言いがかりが自分の頭の中では常にぐるぐる渦巻いている。
そしてその矛先はどんどん変化していく。
最終的には自分に戻ってくる。
自分に戻ってきたからどうと言うのではなくその過程がとてもしんどい。
自分自身で自分を追い込み とても疲れてしまう。
その思考、労働にも疲れてしまう。
行き着くところで何も考えたくないと思う。
しかし、何も考えたくないという思考すらも考えているのだから。
壊れた蛇口のようにどんどん流れ出てくる。
流れ出て外に行ってしまうのではなく、泉のようにどんどん中に溢れ込んでくる。
もっと端的に言うと、壊れた堤防のようなものだろうか。
大洪水の中で、決壊をした堤防のようなものだろうな。
家やら庭やら、田んぼやらに、どんどんと土砂が流れ込んでくる。
その土砂が自分を追い込むドロドロした感情。
そんな感じで、いろんな雑念や文句や情負担や魑魅魍魎の怨霊たちが流れ込んでくる。
立ち切らなければならない。
苦しいから。
いつもそう思いながら、今度はその思考が頭の中で渦巻いている。
混沌とした宇宙だな。

もしそれが意識の世界なのであれば、そういう特殊な世界は、規則や法則や法律や規制がいる。
それでないと狂ってしまう。
既に。
しかし、現実の人の世もそうだろうけれども、なかなか規制通りに整ってくれない。
元々そういうものなのだろうか。
意識の世界は?
意識の世界は、幽霊と亡霊と怨霊が渦巻いている。
だとしたら、そういうものを小さな脳みその中に閉じ込めているこの生き様は、地獄と呼ぶに等しい。
だからそれを解消しようと、活字にしていろんなところに書き出していく。
昨今はそれで対処しようとしてる。
それで少しでも浄化してくれればいいと思う。
あるいは「成仏」してくれればいいと思うが。
生身が成仏するかもしれない。
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