賃貸住まいの高齢者

単身赴任生活が終わり、定年。でも生活できないから、、どうしよう。。

一緒に住む

2025-01-30 17:19:11 | メンタル
何十年も一緒に住んでても理解できないと言うが

違うから一緒に暮らせる

わからないから一緒に暮らせる

そんなものかもしれない
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誰かからの預かり物(愚痴)

2025-01-30 17:16:06 | 暴言
その人は誰かから預かったお嬢様

大事にしないといけない

丁寧に扱わないといけない

気を使わないといけない

かといって無理をしていては続かない

大雑把で雑な自分を好んでいないお嬢様

だからその辺は適当にごまかすしかない

老化に伴いごまかしが難しくなっている

でもやらざるを得ない

お嬢様、執事でございます

以上終わり ではしようがない

従って何かしら隠しながらでもやるしかない

言ってみればお嬢様は結構浪費家であろう

それがお嬢様のお嬢様たる所以である

お金がかかる

お嬢様は気分に気をつけないといけない

体調にも気をつけないといけない

だから色々と考えていかねばならない

気分はどうなのかどうしたら気分良くなるのか

体調は大大丈夫か?

季節による変調はないか?

風邪をひいていないか

などなど、様々なことに気をつけないといけない

だから、お手伝いさんのように使ってはいけない

まぁ、完璧ではなくても、ある程度そういったことを意識しながらやるしかない

あと残り10年程度だと言う予測である

あと10年間執事をこなさないといけない

そのくらいを課題にしていくしかない

ところがどっこいこちらにも問題や課題がある

特に田舎の問題は絶大である

どっちが優先されるのかを考えるしかない

大豪邸ではない

田舎である

面倒な田畑がある

気に入ってるのは現在の居場所という土地の雰囲気である

そこの優位性をつくづく感じているようだ

したがって、そこは優位ではなくて、田舎の方が優位であると言う事実を突き詰めるしかない

突きつけるしかないのである

突きつけるとドクれる

そうなると、困ったことになる

だからうまく進めるしかない

どうでもいいことのようで放置できないことの大問題

もう一つは、所得の問題

ここを並行で考えるしかない

問題の整理問題の提起である
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怖くて線路を走れない電車(意味不明?)

2025-01-30 05:15:30 | エッセイ
線路の上は本来誰も横切らない
だから電車は安心して突っ走れる
往々にして、人間というものが、絡むと不確定要素が増える

道路を車で走っていると、犬や猫やたまに子供も飛び出してくる
ややもすると、乱暴な大人も飛び出してくる
自転車やバイクも飛び出してくる
同じように走っている車が突然に曲がったりする
不確定要素が多い
だから、道路の上では、交通ルールというものが出来上がる
交通ルールがないと困る
そしてそれに従って、歩行者や自転車や車が通行しないと困る
ところが、交通ルールがあっても、誰も通らないような山の中では、自然に従って、危なくないと思えるところは、交通ルール通りに走らないケースがある
その場合、感覚優位になる
つまり、誰も通らないと言う感覚がそこに出てくる
誰も通らないんだから、交通ルールもへったくれもない
「それでも交通ルールをきちんと守る」と言うことにどういう意味があるのか

本来修正されなければならない感覚優位の自然的なものを無視して放置されているから、無意味な交通ルールが存在するのだろう
したがって、結論は本来は感覚優位に従って、本当に誰も通らないのであれば、そこの信号を止まる必要は無い

ところが、街中ではそうはいかない
怖くてしょうがないから、交通ルールがあったとしても、それ以上に安全運転をする
歩行者のほうもあまりに危険ならば、感覚的に危ないと思ったら、そこを通らない
どんなに危険でも、交通ルール通りだからと言って、車の前に飛び出すと
立ち死んでしまう

電車の話に戻る
電車は絶対に人が通らないと言うルールになっているし、まず通らないな
ところが電車だから良いものの、そこを「電車は一般的な人間の感覚で考える」とすると、いつ誰か線路に飛び出してくるかわからないと言う疑心暗鬼を持つだろう
ここに感情が出てくる
怖いと言う感情である
電車が人の感情を持ったのと同じである

何度も言うが、
もしかして「人が飛び出してきたら怖い」と言う感情を電車が持った場合、あの超高速で走っている電車は走ることができなくなる
なぜなら不安で不安でしょうがないから

絶対に人が飛び出してこない
自転車やバイクも飛び出してこないと言う、そういう絶対条件を信じきっているからだ
そこに信じると言うのは、肉体の本能が持つ感覚だからであろう
感覚が良いなら、人の姿が見えたら、電車でも止まる
ところが、感情優位で動いていたら「人はいない」それが「正しい」と言うそういう意識にたどり着く
正しいか正しくないかでは不自然になる

自然は感覚優位である
あるべきものがある
ないべきものはない
突然に存在するものは突然に出てくる
消えるものが消えゆく
あるものはある
ないものはない
電車だから線路の上を走れる

人が飛び出してこないと言うルールは、人が決めたルールである
人が決めたルールは人によって破られる
人の感情はそういう部分を支配する
だから、あるはずがないはずの線路の上に、人が飛び出す

もっと突き詰めて言えば、電車ですら信用できない
でも、そこに不安がある人間の感情を入れてしまうと、電車は走れなくなると言うことなのだ
怖くてしょうがない

それが、人の感情の世界だ
感覚の世界ではない

言いたいことがなかなか解りづらいと思うが、、
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計画性が実は無かったのは自分

2025-01-30 05:08:19 | メンタル
計画性のないやつを見ると、腹が立つ。
もう少しきちんとやれよと言いたくなってくる。
あまりにも雑然としていて人に迷惑をかけてるように感じるからだ。
ところが最近それは自分自身だと言うことに気がついた。

いろいろ計画を立てて行動しているつもりだった。
絵に描いてみたり、図式にしてみたり、数をいっぱい使ったり、たくさんメモをした。
ところが結果を見てみると、はっきり言ってうまく物事が進んでいない。
なぜなんだろうかと疑うことが多い。
計画性とは計画表を作ることではない。
例えば、目標を立てた通りにことが運ぶように、様々なものやことをあるいは概念や思いや感情や情熱そういった様々な感覚を使い切って進めていくことなのであろう。

自分はそういった情熱は少ない。
ほとんどの事に対して、人の目を気にしてなかなかうまく進められない。
結局は、そのあたりを計画性とは違う観点で見てい流。

人間を相手にする。
この世の中では、そういう部分がしっかりと見据えた上で進めていかないと物事は進まない。
そういった人との応対部分を計画の中に入れていないと、きちんと計画ができたことにはならない。

人が嫌い。
人が苦手。
人とは関わりたくない。
そういう感情が優先した行動がほとんどである。
わりとそういう人はいるのだろうが、多くはそこを努力で乗り越えているのだろう。

自分自身を振り返ってみて、どうやらそれを避けてきたし、そういう努力もしていない。
どこまで行っても人の世は人間関係を避けて通れない。
そこが解っていない。
理解できていないから乗り越えられない壁がある。
物事を成し遂げる為の壁なのだろう。
それも含めて計画しなければ到達できない事がほとんどだから、である。

結果、自分自身は計画性はないと言う結論に至っている。
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