昔の世間はいい加減な暮らしでよかった。
しかし、今はみんな同じ目線で生きねばならない。
平等
公平
みんなが同じ幸せに暮らす
ならばみんな同じなら優遇制度もオカシイじゃあないか?
あの人は特別はオカシイ
大統領の特別警護もオカシイ
みんな同じ顔でないとオカシイ
そう感じるのだが。
そもそも同じであるわけがない。
あなたとわたし、で、ほら、すでに違う。
違うならみんな同じはあり得ない。
平等とは?
何に関して?という。
しかし、そこも人によってこだわりが違う。
だから、あれは良いけどこれはダメ、が発生する。
あれとこれ。
ほら、すでにあれとこれとは違う。
だから同じではない。
平等というけれど、そもそも何に対して平等か、で違う。
そこを意識すると、すでに無理難題になる。
だけれども、今の時代はそれで良い時代ではない。
今の時代がかつての時代とは違う。
そこが違う。
昔のオジイが生き易い時代は終わり、今のオジイは生きにくい。
それでもそういう時代で育った今のオジイは今の時代を昔の感覚で生きねばならない。
生活方法は変わっても、人の感覚はなかなか変えられない。
だから、そこでバトンタッチをせねばならんのだろう。
人はいずれ死ぬ。
死に時がわからない。
それでも薄々解り始める。
もう感覚が違うのだ、と。
今の時代に合わせられる感覚が無い。
老害と言われる由縁もそこらあたりなのだろう。
長寿を祝う、というのは少数の見せ物的には良いかも知れない。
こぞって長寿は暮らしを妨害する可能性が高い。
適応能力が高いオジイくらいだけ残って、あとはさっさとトンズラするのが良いように思えてきてる。