維新の会は公明党と取引をして大阪都構想の件で府民投票実施に漕ぎ着けました。
政治的な取引です。
それは大阪で公明党が出ている場所に維新は出ないという約束でした。
だから大阪都構想の応援をしてくれと言うことです。
議員選挙に対しての応援見返りに大阪都構想を応援してもらったのです。
で、それはお約束通りにしたとのこと。
お約束を守ることはいいことです。
で、
感じることがあります。
それって、取引です。
お互いに協力する。
いわゆる経済的な世界で該当する言葉で言えば「談合」に近く無いですか?
それと、法律の中でもいわゆる「司法取引」と言うのがあります。
犯人を明らかにするために罪を犯した人の中で一番大罪の人を明確にするために、その過程で軽度の犯罪者に自白を促し、その見返りとして刑を軽くするか刑を問わない約束をすることだったと覚えてます。
やや概念が違ってるかもしれませんが。
でも、それって悪い奴を捉えるために、悪い奴を逃すことだと感じます。
悪いことをしても駆け引きで許されるんですよね。
現代の目まぐるしい世界の状況の中でそういう悪いことをしても取引で乗り越えられる事実が実しやかに進行してる。
だから、お金さえあれば経済的に強い中国がうまく軍事的な派遣を伸ばしてる。
正しいから勝つ世界ではない。
「おかしい!」「間違ってる!」「嘘つき!」
日本の国を強く縛ってる言葉はそう言う現実に即していない言葉が情報網で踊ってます。
それも、日本の未来を左右する次元で「ただ言葉の上での正義」が支配してる気がします。
私は現実を生きていると、今でも信じてます。
だから、言葉でいくら「正しい」と連呼されても、自分の感じる「これが進むべき方向だ」と思った道を進んできました。
間違ってる時の方が多かったようにも思います。
でも、それでも、自分の肌で、または自分の感覚で信じられることにしか身体は動こうとしません。
だから、変人です。
みんなと反対の方向に進むことも多々あります。
それで苦労しますし、自分でも苦しみを味わいます。
疲弊します。
今でも。
救われたい。
その他大勢に迎合して、流されるのが「楽」です。
確かに、「大人になれ」と言われます。
それはきっと生きやすい方向に舵を切れと追うことでしょう。
最近は歳をとってそう言う生き方でいいじゃないか、とも思うようになりました。
歳をとると考えが浅くなります。
浅くなって、あまり深く考えないようになってます。
ただ、今でも、「違うな」と感じると身体が動きません。
もう、生きてる上での癖ですね。
なるようになれ。
そんな感じになるつつあります。
で、時々、「なんかおかしい」と感じたら一度頭の中でそれを整理して。
でもって、だんだんと物忘れの中で消えていくようになってます。
死期が近い気がしてます。
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