京都二日目の観光は、朝一番に大原の三千院と寂光院を参拝して京都駅へ戻ってきました。宿泊したホテルの裏手脇になる天下の焼肉大将軍でランチして、そのままホテルに戻らす京都駅へ。時間の無い中での移動ですから、京都駅からタクシーを拾うたまに八条口へ移動した。八条口にはタクシーは沢山並んでいるのに先頭の一台に一組の客が乗る非効率の方法なので列がナカナカ進まない。やっと自分たちの番になり東福寺の六波羅門に着けてくれた。東福寺のHPはこちらです。
東福寺のHPから境内図を借用させて頂きます。
スクリーンショットで撮影したものですから少し見難いかもです。
1 立派な三門を右手に拝みつつ直進です。(今回の見学はどももかしこも時間が無くかっ飛ばしました。少し心残りでした。)
2 禅堂だと思いますが、手前の東司かも、でもやっぱり禅堂かな。
3 手前に半分写っているのが三門で、右手大きな建物は本堂(仏殿)ですが、総て素通りしました。
4 三門を真横から眺めたものです。脇に立っている説明文から引用です。
三門(国宝) 室町時代 応水十二年(1405)
東山三十六峰「慧日山」の麓に聳える国宝(指定:明治30年12月28日)「三門」。一般的には「山門」と表記され、寺城の入口(境)を指す。しかし、東福寺では、「三つの門:三門」と表記している。この意味は、「三解脱門」の略で、涅槃に達する為の通らねばならない門とされる。三つの門は「空門(くうもん)」「無相門(むそうもん)」「無作門(むさもん)」である。おおきさは、五間三戸、二階二重門、入母屋造り、本瓦葺き、左右に階段を覆う山廊を有す。構造的には大仏様(天竺様)であるが、視覚的には禅宗様である。三門正面二階には北朝第四代将軍足利義持の筆である扁額「玅雲閣」が掲げられている。「妙」は「女」偏が一般的ですが、額は「玄」の偏を用い、本来の「玄」の意味である「奥深い道理」の意味を添え「妙」の意味の「心理・美しい」の意味を強化している。大きさは小さく見えるが畳三畳分あり、又、力強い筆運びである。二階内陣中央に35歳と云われる宝冠釈迦如来坐像、左前に月蓋尊者、右前に善財童子、両側に十六羅漢が安置されている。周りには五百羅漢とも、森羅万象とも云われる木片が置かれている。
天井・柱には極彩色の迦陵頻伽(極楽に住む人面鳥身の架空の鳥)や飛龍(極楽に住む応龍)を描き、又金爛巻や牡丹唐草等で天上界を表している。天上界は悟りに達した精神界究極の世界を表わしていると言える。東福寺の僧である兆殿司・寒殿司の筆にて描かれ、三門内陣に心の存在を感じさせる空間祖創造している。大屋根の四隅の角柱は、桃山城崩落の天正大地震による三門の傷みを天正13年豊臣秀吉が行った大修理の際に補足した柱で、通称「太閤柱」と呼ばれている。
三門脇の説明文の銘板からの引用です。
5 本堂を横目に眺めつつ先を急ぎます。
6 拝観券を買うために長い列に並びました。それでも時間が時間(午後三時過ぎ)ですから参観に訪れている人が減ったきたようです。この画像のみスマホでしか撮影していませんでした。
7 既にモミジの絨毯と言った佇まいですが。
8 右手に進み、通天橋の入り口にむかいます。通天橋の上では通行人が多い時は撮影禁止になるそうですが、撮影禁止が解除になりラッキーでした。時間が時間ですから。
9 散り始めているとは言え、太陽光線の当たり具合ではそれは美しいと想像させるに充分でした。
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11 右手に微かに見える人影は通天橋の通りの人たちです。
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14 川の脇の所から通天橋を眺めています。
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17 特徴的な愛染堂です。川に沿って右に上り通天橋の入り口に向かいます。
18 普門院方面を眺めて一枚です。
19 開山堂の中は入らずに戻ってきました。つつじでしょうか皐月でしょうか綺麗に刈り込まれていました。
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21 通天橋を通り方丈方面へむかいます。
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通天橋から先ほど歩いていた下の方を撮影です。逆行気味になります。
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25 方丈かな。
26 多分、庫裡ですが手前までしか行っておりません。
27 日下門を潜り東福寺を出て中門へ向かいます。
28 雪舟寺の前を通り南門へ向かいます。
29 東福寺を出て係の方にタクシーは何処が拾いやすいか聴きましたが、その時の様子で何とも言うことでした。伏見街道ですぐに乗ることができました。
30 京都タワーが見える位置まで来ました。お宿の新阪急ホテルまであと少しです。アップする順番が相前後しましたが、ホテルで一時間弱休憩して夜の永観堂のライトアップにお邪魔しました。(東福寺の前に永観堂での夕食とライトアップをブログにアップしています。実際はこの後です。)
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