週末を原村で

非日常性のユッタリした時の流れを信州は原村で。音楽を聴きながら星を眺め!最近は海外の旅の記事もアップします。

§ 自分は朝日新聞を決してゆるさない(その三)

2020年01月10日 21時00分01秒 | たわごと(少し硬派に振って)

「§ 自分は朝日新聞を決してゆるさない」の今回はその三です。」

ここで、お断りしておきますが、慰安婦を許容している訳でも慰安婦が居なかったと否定している訳ではありません。くれぐれも取り違えないようにお願いします。個人的には誰よりも人権を重んじて、誰に対しても親切で人間の尊厳も大切にする考えを持って行動していると思っています。(自己満足の域を出ていませんが。)考えるだけでは意味がありません、困った人があれば手お差し伸べねば意味をなさないと思っています。行動を起こさねば思って居ないことと変わりはありません。人権を重んじるとの思いも只の自称ですが。

今回(第二次世界大戦時)の慰安婦問題な強制されたか、されなかったのかの一点だと思っています。その強制が軍隊や日本の公権力に基づく人権を無視した行為であったか否かです。

私も、慰安婦が存在して自分の意思に沿ってその職に就いた人ばかりではないと思っています。しかし、日本軍や公権力に基づく組織によって強制された証拠は何も見つかっておりません。如何に戦中戦後のドタバタした社会にあってしても、総ての証拠を破棄し消滅させる事は不可能です。日本軍は理不尽な行為を平気で行う組織だから、日本軍は行っている筈だとの心証(憶測)だけで、証拠も無しに決めつけるべきではありません。例えそれが一個人としてもです。況や公器たる新聞が証拠も無しに流布すべきではありません。朝日新聞はその原則を踏み外したのです。

日本軍が慰安婦を斡旋し、管理する組織に便宜を与えていたのは間違いのない事実のようです。戦時下の地域に移動でき、兵隊の健康管理の為に慰安婦たる娼婦の性病や健康面で慰安所の管理者に間接的に管理させていたのは間違いのない事実のようです。これに関しては資料も存在しています。

朝日新聞は日本国民に対しても、韓国国民にも何らその責任は果たしておりません。報道機関として社会から退場すべきです。朝日新聞は一私企業です。読者が存在しなければその存立は不可能なのです。読者が罰を与えるべきだと思うからです。

今の自由な社会に於いても、性を売る人は存在しますし人類最古の職業だと揶揄されるほどです。再度問題点をはっきりさせますが、女性が不当に、または自由意思に基づかず強制的に軍隊や公権力によって慰安婦にされたかの一点のみが問題です。

この点を、検証することなしに大々的に嘘を紙面に掲載して日本国民と韓国&朝鮮人を騙した朝日新聞は決して許しません。

次に以前に『§ 約束を屁とも思わない韓国』というタイトルでアップした記事からの引用です。出典元はウキペディアからです。

ウキペディアでは慰安婦はこのように表示されている。
ウキペディアから一部抜粋引用です。

韓国における呼称[編集]
韓国では、「慰安婦(위안부)」という言葉は、1980年代までは主に米軍・国連軍慰安婦の事を指しており、日本軍慰安婦はほとんど問題になっていなかった。しかし1990年代に日本との問題が大きくなってからは、「慰安婦」という言葉は、日本軍慰安婦に対して使われるようになり、米軍・国連軍慰安婦に対しては使われなくなった[48]。
東亜日報の「慰安婦」関連記事数[48]


  年数   日本軍慰安婦関連記事数 ・ 米軍・国連軍慰安婦関係記事数

1951-55      1件                17件 
1956-60      0件                36件 
1961-65      0件                56件 
1966-70      1件                 118件 
1971-75      5件                39件 
1976-80      0件                20件 
1981-85      4件                  9件 
1986-90         5件                         8件 
1991-95     616件                     3件 

1990年迄は、慰安婦としての記事は朝鮮戦争時の国連軍の記事でした。吉田清治及び朝日新聞の捏造記事の報道後は、慰安婦と言えば日本の第二次世界大戦時の日本軍に於ける慰安婦を指すようになりました。訂正文を出そうが、その責任は消えません。私は許しません。

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#012 -’20. 美濃吉で朝食を(新阪急ホテル)

2020年01月10日 10時47分55秒 | 国内旅行

既に昨年の事になりますが、今回の京都旅の三日目です。出発する初日は自宅で朝食を頂き、ランチを新幹線内で崎陽軒のお弁当でした。二日目の朝食は法華倶楽部のホテルでいただきました。三日目は泊まっているホテルで頂こうということでお邪魔したのが新阪急ホテルの地下の美濃吉です。

 

1  ホテルのバイキング形式の食事も宿泊割引で頂けるようでしたが、前日と同様に何故か気が進みませんでした。京料理・美濃吉が目にはいりましたので、最終日ですから地下へ。

2  伺った時は我が家以外に数人が列を作っていました。その後にならびましたがお店の方が出てくるわけでもありません。店内が全く見えませんからどの様な混み方なのか分かりませんでした。   

3  列に並んでいる店内から地下の通路を撮影です。朝とは言えお店の方の声掛けがあった方が良いのかなと感じだ次第です。

4  店内に案内されました。その前に並んでいる人が何組か出て行ってしまいました。人手がなくサービスが顧客を逃している感じです。蓑傘のから美濃とかけているのかも。

5 店内です。混んでいませんでした。中居さんと呼んで良いのか分かりませんが、手が回らないでサービスの低下を招いている感じでした。

6  我が家のお願いした料理が届きました。事前に仕込み準備できる料理が殆どですから、人手不足が問題なのかと思った。少し残念です。

7  

8

9

隣の席の方がお茶の追加をお願いして注いでもらっていました。我が家にも聞いて頂き注いでくれると思っていましたが、そそくさと奥に戻ってしまいました。あと一人の方が勤務に付いていれば、もう少し余裕もあると思うのは自分の考え違いなのでしょうか。

正直、働いている女性の方より管理する人の経営感覚の欠如で、サービスの低下を招いている少し残念な食事でした。お客もですが、働く労働者も逃げて行ってしまうのではと心配するのは私の行きすぎな感覚でしょうか?

コメント (4)
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